illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん

仕事場で廊下を歩いているときに、「おれのくーちゃんはおれの中にいてくれる」「いてくれて本当によかった」という思いが、「不意に」と書けば、いかにもエッセイらしいのだろうけれど、おれの場合はくーちゃんのことが大好きなので「常に」「絶えず」共にある。くーちゃんにこのことを知られてはならない、なるまい、日本語がわからないだろうから知られるまいと長く思ってきたのだけれど、最近はどうも、くーちゃんに気付かれている気配があります。信仰でもあり、愛でもある。内村鑑三かおれは。別れた妻からいわれていまでも印象深く覚えているのが(もう21年も前のこと)、「〇〇君(おれ)は、自分よりも大切なものを見つけられるかどうかよ」という、啓示、予言。別れた妻は、誰か別の女性という含みでいったのだと思うが、くーちゃんだった。