illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

旬にも空き席があるざんしょ

たぶん旬にも空き席があって、もともとだれかが座っていたところに割り込もうとしたら、理由付けやら力任せやら、不自然な何かが生じて、動―反動という意味での反動が起きるのはこれは必然というべきなんざんしょう。

そもそも、季節は向こうから訪れる。繊細に。気づかれないように。気づいたときに、季節がやってきていたんだなあと。野暮や不躾といったものに季節の側でも最大限の配慮をしている。だから毎年、僕らは秋の訪れに、わかってはいるのに、してやられるわけです。40年連続で、秋には勝てたことがない。

何の話かというと、1月3日に船橋駅下のワイズマートで買い物をして、そのレシートに、恵方巻の宣伝が印刷されていました。「待ち遠しい」ものになるための仕掛けを、だれの仕業か存じませんが、奴っこさん、根っこから見間違えたような気がします。

恵方自体は、そんなに責められた儀式じゃないと思うんだけどね。

ja.wikipedia.org

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付言するなら、恵方詣りは、向こうからやってくる季節を、こちらから迎えに、向かって行くあたりに旨味があった。これは鉄道各社の発案の妙だと思います。顧みるに、コンビニエンスストアが主導する恵方巻は、買い手担い手(=消費者)の主体的な喜びがない。ごりごりっと運ばれてきて、のぺーっと並べられて、目に押し付けられる。

これじゃあ、季節や旬の繊細な訪れを味わうゆとりがありません。

「ああ、また来るのか」

僕などは、思わずそう感じてしまいました。