illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

大仏建立その前に

twitterで妹が大変興味深い憤りのコメントをしていたのでメロスは欣喜雀躍して服を脱ぐ。そしてみなさんに語りかける。王はもはや視野にない。

妹がいうには、

神社でクラスターになったらどうするのかという話で見かけて死ぬほどブチギレたので言わせていただきますが、日本の神様は自然現象だから巷のウイルスとは未関係です。参拝したら神様が怒るみたいな勝手なこと言わないでほしいし、生物一種のために日本神は特別災害とかやりません

まったくそのとおり。あの、日本のね、宗教。創価学会じゃないやつね。手水ね。鳥居くぐって花手水。あれは、清浄教です。本質はね。きれい/きたないを仕分けて、距離を置くやつです。いやそうですって。中上健次がそういっている。 

二十世紀を動かした思想家たち (新潮選書)

でかいなサムネイル。よって商品名のみの貼り付けにした。

それでそう、それは、この島国が、基本的には温暖で、怖いものは西南方なら黴、東北方なら積雪。どこに来てもまずいのが噴火、台風、洪水、津波、干ばつ。加えて、雷、火事。親父は別に怖くない。それにあれは大風(おおやじ)だ。ですので、こういっちゃ何ですが、多少の犠牲を払って、じっと頭を垂れて祈っていれば、あとは、いま図らずしも後はと申し述べましたが、「後片付け」で済む/済ますような、基本的にはお国柄です。

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そもそも、日本神は特別災害(を起こすこと)に興味ないのね。穢い、はこれはおそれる。黴菌は怖い。何としても払わなくてはならない。ウイルスと黴菌が違うのが問題なんで。そのことはいずれまた別口で。

それでその、近年でも、超弩級の自然災害や不景気の人災が続くじゃないですか。そうすると大仏建立の機運が高まったとみなさんおっしゃる。

そこで、ちょっと立ち止まってみてほしい。日本最古は飛鳥大仏です(596-609)。釈迦如来像。そんなに大きくない。280cmくらいしかない。これ、飛鳥寺の発起結縁にも結ぶ話ですが、排仏派の物部守屋一門と血なまぐさい抗争があって、蘇我=厩戸連盟が勝利を収める、馬子が発案した、その祈念、記念です。

日本に最初期に伝来した仏教が何であるかには論争があるんだけど、まあ何、創価? 法華? (またそういうことをいってしまう)争いとか、鎮圧、平定、折伏とか、仏像、大仏ってのは古代史でそういう匂いがつきまとう。怖いんだよね。物騒。「手洗い大仏」とかそれくらいの穏便に済ます系、ないでしょ。

ともあれ、日本神は特別災害を起こすことに興味はなかった。鎮めることにも、あまり(多少はある。清め。地鎮 etc.)。では大規模な災厄を鎮めるほうはだれが担当したかというと、大仏。大陸のスケールが違うから。蝗が大群で押し寄せてくる場所柄。

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以上を踏まえて、裏を返せば、妹の気持ちはようけわかる。そもそも、神社は「清め」でたち行かない特別災害には、弱かったりもするわけで。だいたい、津波や火事に遭って再建したりするところも多いから。起きて被った後で、祈る。その、柳に風ならず、打たれ弱い(いちどは打たれる)ところが、やっぱり文であり、優美の源泉であるわけ。嘆く。払う。きれいにする。立ち直る。ピクミンか。

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で、神社(にもいろいろあるけどさ。神社本庁とかやばいのも含めて)側が、文化史、思想史的に今回のCOVID-19をどう見て、どう対策を打って、何ができるのかと自分たちを位置づけているかは、これは大変な興味関心の対象であります。神社はクラスターになりにくい環境要件が整っている気はします。参拝が少なければね。

ついでに申せば、何にしても、小室の出る幕ではないわね。世が世なら、小室が災厄を背負ってきたって所払いよ。何のこっちゃ。お粗末様でした。