illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

よくわからない私信

これね、歌いながら木村カエラがよくなっていくんですよ。

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歌い始めからずっとよくなっていくんだけど、間奏を挟んで奥田民生にスイッチして「紺碧の」に入る辺りで、見るからに木村カエラの背筋が(物理ではなく感性ね)しゃんとして乗ってくる。緊張感が漂ってくる。「ひとりじゃない」って空気が張る。そこからはずっと(いい意味で)張ってます。

それはいうまでもなく民生がずっと刻んでいるからです。民生自身が呼応して乗っている。木村カエラはこの収録に備えて、練習を重ねて楽しみにしていたといいます。そうだろうなと思います(僕なら「わいせつ石こうの村」第3章を暗誦して臨みますからね)。

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で、これがね、日記をひとりでなく、たまに(僕の場合はしょっちゅうだけどさ)手紙を書くことの意味、意味というか意義、だと思うんです。「ワイセツ」の辺りのハモり具合はよくできているなあと。

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僕も30年35年ずっと(ひとりで)苦しかったですからね。いろいろと大変かとは思いますが、この分なら、横浜黄金町のほうも、2021年も何とか大丈夫でしょう。

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ほうら君の手はこの地球の宝物だ
まだ誰もとどかない明日へ
ほうら目の前は透明の広い海だ
その腕とその足で戦え

ほうら目の前は紺碧の青い空だ
翼などないけれど進め
そうだあこがれや欲望や言いのがれや
恋人や友達や別れや
台風や裏切りや唇やできごころや
ワイセツやぼろもうけの罠や

奥田民生「息子」

「翼などないけれど進め」せやなあ。2021年は船橋か、阪神か、(また)お誘いします。