illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0028 22年前の夏に行ったある通話停止解除の話

98年夏の話です。時効ですね。海老沢泰久広岡達朗を描く際の常套句ではありませんが、今回の記事で、いかに実在する人物に名前や状況が似ていたとしても、まったくの偶然、架空です。よろしこ。

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大学院に進んで、生活費と学費を捻出しなくてはなりません。都内の某所某ビルに構えられたフロアで、PHSのコールセンターのSV(スーパーバイザー)を務めていました。時給よかったです。英語対応とクレーム対応と研修手当を含んで1,750円かな。予備校とも掛け持ちをしていたので月収40万円になりました。夏場、大学院にはゼミと報告に週1回か2回半。寝ないで漢籍と洋書を読んでいました。精神衰弱になり、失語症を長引かせる要因になりました。今と変わらんがな。とほほ。

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コールセンターは基本は365日9時21時。発信も受電も、いろんな対応があるんですが、夏の夕方、ある高校生から受電があった。料金2ヶ月滞納、締日が10日だったか15日だったか、3ヶ月めにはいって、該当する契約(つまりPHS電話番号)を一斉に停止する中央のオペレーションが走る。だからその翌日はてんやわんやです。とにかく回線を開けてほしい。必ず払うから。ダメです。まず払ってからお電話ください。料金収納確認には2日3日かかることもございます。予めご了承ください。

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8月16日夜。7時か、8時ごろだったか。

オペレーターの女子大生がその、男子高校生からの通停解除依頼を、僕に「SV対応依頼」として振ってきた。重いクレームではなさそうだった。

甲子園が…といってるんです。この名前、見ていただけますか。

お、おう。( ゚д゚)ハッ!

本当は見えることをセンター外に話してはいけないのだが、何せ時効、作り話である。よゆうのよっちゃんイカ。くコ:彡くコ:彡くコ:彡

検索画面のH/C(ハードコピー)が示した、男の子の自宅住所は横浜。それが、甲子園近くの宿舎の、公衆電話からかけてきているという。そらすぐに代わらんと、10円玉がなくなってしまう(フリーダイヤルなら10円玉は戻るから余分は不要のはずなんだけど、こちらの気も動転していた)。一次受けの女子大生が、スポーツファンだったことも幸いした。

うむ。開けるしかないよな。

はい。(にこにこ)メンヘラさんならそういってくれると思いました。

すぐに代わるわ。まだつながってる? OKOK

着信保留のランプボタンを押して発話する。お待たせいたしました。お客様。ご事情をお聞かせいただけますか。

《あの、甲子園が、長引いちゃって。実家に戻ればお金はあるんですが、家族も応援でこっちに来て、用紙がないから、すぐには払えないんです》

せやろうなあ、と僕は思った。ここで、いきなりとんでもない発言、思い出話を少々。

8月11日の杉内君のノーヒットノーランに、僕は現地で取材スタッフの下っ端として立ち会っていた。コールセンターのシフトはわりかし自由が効く。アマチュアスポーツ取材と学業の両立を果たそうと、苦しみながら、汗を流していた。甲子園球児の「まだ7歳上」のはずだった。伸ばせば、手は届く、届くうちにと、その夢と幻が、僕を西に向かわせた。

そこで見た杉内君の割れるカーブは、実に工藤公康を彷彿とさせるすばらしいもの。1回線で彼が成し遂げた、ノーヒットノーラン。それは、同じ大会の決勝戦よりも何よりも、僕の中では、いまだに最高のノーヒットノーラン。そんなことを、思い返す。

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受電のあった16日夜は、その杉内鹿児島実業が完封された日である。僕が東京に戻ったのが13日だったか。14日には働いていたはずだ。お盆は人手が足りない。ここまで、電話を受けながら、一瞬か、数秒か。

あの…あと1週間、かかる感じ? よね?

《はい》

強いもんなあ。

《あー、はい》

こうしましょう。この対応のあと、黙ってお切りください。規則では通話停止解除はできません。ただ、なぜか15分後に、人のやることなので、何かの間違いで開くこともあります。それで、よろしいでしょうか。

《ありがとうございます。あ、(まずい返事をしたという気配)》

がんばってね。料金お支払いは、できるだけ早く、お願いいたします。入金連絡は、同じ番号、SVのメンヘラあてに指名でください。

《はい。失礼します》

離れたところで対応をヒアリングしていた一次受付の女子大生が、ヘッドセットを外しながら、にこにこして、「さすがですね」と声をかけにきてくれた。「通停解除のオペレーションは私がやりましょうか」「ありがとうね。実は、話しながら解除済。確認だけしてくれますか?」「はい」

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8月24日に料金が支払われた。26日に、男の子から僕あての指名入電がきた。

《親が払ったっていってるんですけど…》

勝戦の夜から、入金履歴を僕は朝に昼に晩に見ていたから、わかっていた。SVだけに見られる特別な権限を必要とする画面である。もちろん、やってはいけない。

どちらかといえば、決勝戦までは、試合と練習を優先してほしい、無理をして払う必要はないからねと、画面越しに祈りをかけるような、そんな気分に近かった。コールセンターで著名人や関係者から電話を受けると、あっさりファンになる事例は、少なくない。

確認いたしました。お電話ありがとうございます。

《ありがとうございました》

電話、ありがとうね。それより、おめでとう。投げてみて、杉内君、すごかった? 

《…ありがとうございます。はい、すごかったです》

その後、彼からの電話はない。番号も忘れ、画面も見なかった。想像以上に、著名人や芸能人の契約というのがあって、たとえ夏の甲子園優勝投手だとしても、だれも関心をもたないのである。まさかPHSを契約しているとも思わない。

休憩室でも、昼間の快投、活躍それ自体の話は出ても、誰の口からもそれ以上に広がることはなかった。そもそも、業務の必要最小限以外のことで、顧客情報を参照することは、センター関係者全員に課せられた、きついご法度である。 

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後日、9月に入り、この規則違反の通停解除オペレーションに関して、センター統括から呼ばれて反省文の提出を命じられた。とはいうものの、怒られたのは形だけ。

いいなあ。話ができたのか。怪物君と。彼、すごかったね。

そんなセンター統括でした。で、おしまいに、解除処理を女子大生のオペレーターに任せなかったのは、もし任せたりすると、彼女の名前で処理記録がDBに残ってしまうからです。