illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0002

安倍晋三による緊急事態宣言の日。

  • 帰り、東陽町に立ち寄る。チェーンのカレーショップの椅子が一石飛びに「お客様の健康のため」とかいう名目で着席が禁じられる。午後6時
  • 東西線下り、マスクを着用していない、目つきのよくない労務者(あえてこの語を選ぶ)が目につく。改めて、マスクを着用している人たちの供給元はどこなのだろう。
  • 19時前、船橋駅シャポー口でサイネージを2枚見て(これも)改めて、私たち日本人の従順な手際のよさに心の中で頭を抱える。
  • 「伴う」のである。主体性や責任にモザイクがかけられる。もちろん、この用法にシャポー船橋に意図があるわけではなかろう。ただの慣用、どこかで目にしたお役所言葉か、過去の類似の文書から「これなら無難」と引いたものだろう。

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  • よりショックを覚えたのは、上のサイネージから右に90度のところに立てられた、次。「伴」った上に、「お客様と従業員の健康と安全確保を目的に」と、いわずもがなの名目が掲げられている。(無意識下に)別の目的、「本当はこの名目がなければ成り立たなかった」感が、嫌ーな感じで、出されている。

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  • そして、「お客様にご迷惑をお掛けする」のはわかっているが、「ご理解」と「ご協力」を求めている。責任系統が上と下に、いつものやり方でかけ流し源泉の湯から何キロだか知らないけれども、じゃぶじゃぶされている。
  • 「シャポー船橋は大丈夫です」と、高らかに宣言してほしかった。
  • しかし、繰り返すが、これは私が愛するシャポー船橋の責任ではない。
  • 実はこれと同じように洗練を極めた、社内通達文書が、弊社(日本法人)でも複数出され、結局のところ責任の所在がぼかされているために、読解力のある若手ほど、どの文言に、どのような体系と優先順位をつけて従い、判断すればいいか、不満をもつシーンが本日みられた。
  • 私は、特に本日は身近なところで自粛要請と緊急事態宣言の複数の解像度から眺め直してみたつもりだが、そのどの度数、切り取りをもっても、天皇制と無責任の体系の再発をみて、(率直にいえば)うれしく、空恐ろしくなり、記録しておこうと思った次第。
  • 復活の日は、だいぶ遠いようである。