昨日、渋柿の使い途には大きく2つあると記しました。
干し柿の話 - illegal function call in 1980s
実は大きな3つ目があります。
それは樽抜きです。
いくつかの流儀があるようですが(ホマレ姉さんには、ぜひレシピとして紹介してほしい)、基本は、
- へたの部分を取り除く
- 表皮を隅々まできれいに拭き取る
- 樽と名が付くが樽は使わないでも作れる。新聞紙とビニール袋で十分においしくなる
でしょうか。「温泉柿」というのもあり、わが生家でも試したことがあります。
本流はやはり樽抜きでしょう。酒のわずかに残った樽に柿を詰める。私はその製法を聞いたり呼んだりするたびに納豆の由来のことを思い、おそらく、古えに、渋柿のおこぼれに預かった小坊主さんかだれかが、これもおこぼれにもらった残り酒の樽に、詰めて夜道を帰ってそのまま寝たら、翌朝、偶然に甘くなっていた、なんて想像をめぐらせたりします。
*
昭和50年代、うちではボウルに渋柿を伏せて、焼酎かブランデーを婆さんの気分で吸わせていました。子供のころには、干し柿がある。もちろん成り柿もあります。少し大人になると、「食べてみる?」なんて誘いをかけてくれて、剝いて、果物ナイフで小ぶりに形を整えて、皿に載せてくれる。前にもどこかで書いた覚えがありますが、私の人生は子供のころ、ほんとによく出来ていました。
もう、甘い甘い。味を覚えてしまいます。
*
その婆さんが不思議なことわざを口にしていました。
「樽抜き渋柿を洗う」
私はきょうのきょうまで今さっきまで、そう覚えていました。婆さんが、
意味はよくわからないんだけど、昔の人はそういったのよ。
と聞かせてくれたから。
もちろん、私は大変にいい子なので、「はい」と返事をして覚えました。
大人になってからも時に思い出し、アルコールで渋を抜くことを「洗う」と表現する、何とも乙、粋ではありませんか。なあんて、一人合点していたわけです。その乙を粋を台無しにしてくれたのが、東西線の中で樽抜きに続いてひとりでに表示されたGoogleサジェスト。ありがとう! しね!
「樽抜き渋柿を笑う」
一瞬、わが目を疑いました。意味がわからなかった。格助詞「が」も係助詞「は」もないから、「樽抜きノ渋柿ヲ」馬鹿にして、つまり成り柿ではないから一段劣るものとして笑うのかと思ったんですね。ちゃうちゃう。ちゃうちゃうちゃうねんで。「樽抜きガ」「渋柿ヲ」笑うんですってよ奥様。五十歩百歩、目くそ鼻くそと同義とある。
*
ちなみに申せば、初等の学校教育では、「樽抜き渋柿を笑う」は、出てこない。酒は禁制品ですから。でも、だからって、五十歩百歩と似た意味のことわざ故事成語で「目くそ鼻くそ」を選ばせる五感のセンスに、私は前々から申しておきたいことが御座いました。その、わが説に力強い傍証を得た思いだ諸君。
絵柄も、色合いも、音も、「樽抜き渋柿を笑う」のほうが断然、優れている。同じ意味合いなら響きのいいほうを選ぶ。国語屋として、当たり前の理屈でしょう。
*
それで船橋の駅を降りた帰りの夜道、私は、婆さんがもし生きていたら、と思いました。答えは敢えて声にする前の段階から、とっくに決まっていたのですが、一応は、声に出してみた。
おれは婆さんの「洗う」説を、訂正するだろうか。
婆さんは、おれのどんな話も、訂正したり、否定めいたことを挟んだりしなかった。ただの一度だって、しなかった。おれがするわけないのである。
敬愛する大野晋先生の辞書に「笑う」とあったとしても、おれは「洗う」を採る。口承とはそういうものですと、国語学のレポートに書いて提出する。したら、大野先生は、案外、喜んでくださるのではないかしらん。
*
婆さんの四十九日が済んで遺品を整理していたら、離れの納屋の奥納戸から(つまり、直射日光を避けた、温度湿度の一定した、ひんやりした日陰さん)、1970年から79年までのラベルが几帳面に貼られた、リカーを入れる赤いボトルが出てきました。親父は、
そんな30年も経ったものを口にしたら腹をこわすぞ。
と、例によって科学の名を借りたふりの野暮イデオロギーを振りかざしました。おれは馬鹿野郎と思いました。(この糞野郎。左翼崩れ。婿養子の成り損ないが。)そして、目の前の丹精なボトルに、そんなことは絶対にありえないと信じた、あるいは信じる以前から分かっていたので、
ほんとうに、いいんだな。おれが全数もらうぞ。
すると弟ふたりもおれの側に立った。(ちなみに、これが革命、復古、維新であります。)新しいものから、古いものから、といちおう詮議にかけたところ、おれよりもずっとラディカルで暴力的な中の弟が、
古いのがうまいんじゃない?
と、にやにやしながらいうので、1970年を空けて飲んだ。中身は(今回のお題にとっては残念なことに、柿ではなく)梅でした。うまい。梅の濃厚なエッセンスに、わずかにアルコールを感じさせるもやが、グラスに注いだそばから立ち上る。いくぶん下戸の下の弟でさえ「行ける行ける」とごくごく行っている。
それを横目で見ながら、「いや、結果論ではない。止めるのが親の責任だ」と、負けを認められずむくれて背を向けた父親は、「いいから意地はってないで飲みなよ」とグラスを渡したのに口をつけませんでした。
そういうところ、なかなかの好人物ではあった。まだかつかつ生きてるけどね。
*
思い出は、飲まなくなった酒のように豊かなものかもしれません。婆さんの「洗う」説を訂正しなかった、そもそもするはずのない、おれという一個の先に、束の間、これだけの夢を見させてくれる―おれの胸にも、あるいはまだ、奥納戸が少しは眠っているでしょうか。