illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

それでも古文をやりますの

30年来、フッ素加工のフライパンにしがみつこうとするヤモリの如く、英語と古文を、ということはつまり現代日本語散文や、言文一致や、文法規則も、ということですが、やってきたわけです。

僕がよよん君の話を書き上げようとしていたころ、2017年の夏秋くらいから、商談で負けなくなりました。それまで長く、英語でも日本語でも、ビジネスレターやビジネストークで相手方が繰り出してくる言葉遣いの何というか(稚拙さ)に、ひとつひとつ、腹を立てていました。ワレ、イマダ、モツケイタリエズ。そんな大名人悟りの境地には、はるか遠く及ばず。いちいち、呆れたり憤ったりする。いわゆるひとつのスルーカの欠如です。

それが、あるころから、呆れるよりも先に慈しみが湧くようになりました。平たく申せば、おおむね、相手方が、何を求めているかわかるようになりました。不惑を過ぎてこれですから、いかに私がコミュ障であったかという証拠であります。

緩急の出し入れ自在ですよ。毛唐にも臆することがまるでなくなりました。脅したりすかしたり。そりゃ古文の力でなくて英語とロジカルなんとかの力だろうって話ですけれど。古文→現代国語→現代英語→現代国語(→古文)。翻訳も、確実にうまくなったろうと思います。

それだけの話です。何のために石にかじりついて自分なりの研鑽を重ねてきたんだろうと思うね。はあちゅう「仮想人生」のAmazonレビューは削除されるしさ。はっはっは。おれが、英語や古文の授業をやると、生徒や親御さんが崇めるような眼差しを向けてくるわけよ。「あゝやんなっちゃった」って、唄があるでしょう? まったくだね。

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