illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

始まってしまった恋

小泉今日子の最も美しい発声域を引き出した曲、その初期は「魔女」でしょう。そして円熟期(あるいはカムバック賞)には「優しい雨」がふさわしい。異論はないと思うが念のため申し添えておけば異論は認められない。

しかしその「優しい雨」のオリジナルはと問われたら、答えられない向きが多いのではなかろうか。

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鈴木祥子である。

私は以前に野田幹子の偉大をさり気なく場に差し出しておいた。

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別段といえるほどの反響はなかった。むろんコメントを寄せてくださった識者各位には心から感謝している。私が野田幹子に救われたのと同じころ、救ってくれたのが鈴木祥子である。

鈴木祥子 - Wikipedia 

Long Long Way Home

Long Long Way Home

 

彼女の「Long long way home」が世に出たころ、私は人生で初めての離人症のようなものを発症していた。17歳になるかならないかの年端だった。本能的に救いを求めてCDショップを散策し、FM、AM、かなりの音楽番組に耳を寄せ、熱心なリスナーになった。そのいくつかが私の内なる孤独に親(ちか)しいものを感じさせてくれた。鈴木祥子は覿面に効いた。ここにあらためて礼を述べたい。

*

四半世紀が過ぎて、いま思うのは、歌謡曲、その流れて耳からひたひたと浸透してくる歌詞を大切にしたい、大切にしてよかったということである。というのは昨日きょうと「焼き鳥エイト」に営業で入っていて、あそこはあれなのな(何がだ)、大黒摩季槇原敬之、云々を、明るい店内に流すのな。感心した。心が洗われた。レバーと鶏ももをキャベツにくるんでつまみながら、おれは「80年代90年代(前半まで)の歌詞も捨てたもんじゃない」とひとり頷いていた。「おれが聞きたい話、ストーリーの類型はこれなのだ」と大黒摩季に思った。当時は大黒摩季など屁ほどに思っていた私だが、そうではなかったのである。上京した街でやるせないビートを抱える女の姿がそこにはあった。

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どうして、「優しい雨」のようなストーリーが私たち歌詞から失われてしまったのだろうか。応援だとか頑張れだとかくそくらえである。つんくは一体どこで変節したのだ。秋元のことは書かない。いつかきっと刺し違えるのみ。私は、日頃むつかしいことをいっているようだが、「優しい雨」で十分なのである。

こんなに普通の毎日の中で

出会ってしまった二人

あなたについてゆく

はじまってしまったから

鈴木祥子/小泉今日子優しい雨

「てしまった」の二度受けが効いている。これを古語では気づきの詠嘆と呼ぶ。ちなみに気づきの詠嘆は「けり」だけではない。完了の助動詞「つ」「ぬ」は強意になると「てしまった」がぴったりくるので、これもやはり詠嘆に分類される。事態の進行のほうが早く、運ばれてしまい、気づいたら浅瀬を離れ後戻りできないところまで来ていた状況を指す。

(おれも一度は「てしまった」で恋を受けられてみたいものだ)

これを夫唱婦随の内面化ととらえる向きもあるいはあるかも知れぬ。うるせえ馬鹿野郎である。ヘミニストだって恋に落ちようものを。いやわたくしはヘミニストとして決して恋には落ちませぬという思想態度はこれはありで、まあ、とりあえずおれに石を投げておけ。恋に落ちたときの狼狽と転向が見ものだ。

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追伸:

運命だなんて口にするのなら

抱きしめて連れ去ってよ

私の全てに目をそらさないで

諸君、このような女の論法に屈してはならない。

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小泉今日子はデビュー当初からフラットが下手な様子だとは「明星」「平凡」その他で指摘されていた。

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たしかに鈴木祥子のオリジナルを聞くとその思いがせぬでもない。だが、キョンキョンのこれは十分にありだ。この中途半端なベルベットの低音は「魔女」の延長にある。そして(ここ大事な)むしろ鈴木祥子に比べてより多くの揺らめきを誘発させる。おれはこういう歌詞と楽曲に触れていたいのである。