僕も実はこっそり批判的な立場を表明した記憶がある。
ただこれは僕の批判でも、もちろんよよん君のお母様の批判でもない。
言い訳でも加担でもない。
おかげで治療にもずいぶん足しになりました。難しい病気だと認定されて、医療費も国や県のお世話にずいぶんなりましたけれど、それでもやっぱり足りなくて、どこのお家でも病気しはったら難儀しますでしょう。はずかしい話ですが、うちでも切羽詰ったことはそれはもうあります。
2001年当時は、いまのように、病気のお子さんをかかえた親御さんに支援グループいうんですか、そういう動きをとって、代理で募金活動をしてくださるような方はいてはりませんでした。それに、仮にそんな機会があったとしても、洋ちゃんもわたしも「そんな、他人様のお世話になるようなみっともないことまでせえへんかて」いうて、とことん自分たちの力で、めいっぱい見栄や、意地のようなものをはっていたやろうと思います。
たとえば、うちの場合は、洋ちゃんが積み立てていた自転車事故保険の満期払い戻し金を充てるところまで来ておりました。そこまでしていても――これはいうてはいけないことかもしれないですけれど――8月、9月のころにはいよいよ首がまわらなくなって、せっかく建てた2軒目の家を手放さないとあかんやろうかねえ、なんて洋ちゃんには聞こえないところで家族みんなで相談していたんです。
それが変ないいかたやけれど、家を手放すところまではいかないうちに、10月の初めには、洋ちゃんはああなってしもうて。
「とことん親孝行な子やったなあ」
なんて、いまでも思い出して上の子らと話すことがあります。
洋ちゃんが聞いたら怒るやろうか、それとも、母さん、ええ子やろうと鼻を高くするかしら。
第3章:母 - セカンド・オピニオン(船橋海神) - カクヨム
いまでも、僕は(当時の)「(~ちゃんを救う会)」には批判めいた気持ちを持っている。そして、そのような時代があったことを書き留めておくことが僕の語り部としての使命の1つだと思った。僕が書きたかったのは、よよん君のお母様のある種の倫理だった。意地とか、プライドとか、見栄かもしれない。そのことを、もっと大人になった日によよん君は気づいたことだろうと思う。
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そして以上は「はる君はわいの子である」命題と矛盾しない。ダブルスタンダードでもない。ダブルスタンダードから当然にすり抜ける生活信条であり、日々の行動規範であり、よよん君が「研修医ってさ」と尋ねた、そのグラウンド・ゼロに近いところに、id:elve さんも、id:CALMIN さんも、もちろん僕もいるのだと感じている。親の愛は偏愛だからだ。偏愛でない愛を受けたところで意味がない。
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