illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

万葉2188の技法と多義性について

非常に、その、すばらしいお歌と思いましたので。

黄葉のにほひは繁ししかれども妻梨の木を手折りかざさむ

品詞分解しましょう。

  • 黄葉(もみちば):名詞。紅葉。「もみち」(清音)は奈良です。濁音「もみぢ」になるのは概ね平安から。黄はいうまでもなく中古は高貴な色でした。
  • の:格助詞
  • にほひ:ハ行四段活用動詞「にほふ」連用中止。もしくは名詞。ニはおそらく丹です。赤い土の色。赤く色が映えること。香りの意味に転じるのは後世。
  • は:係助詞。Aは、Bは、というように他を想定した限定的な話題を提示します。この歌の肝です。後述します。
  • 繁し:ク活用形容詞「繁し」終止形。時空間的に、次々に生起して、互いにすきまのないことです。草木や葉が密生していること。
  • しかれども:接続詞。如く・あれ・ども。そうではあるが。直前の「繁し」のシ音を引きます。こういう、接続詞で受ける音引きはなかなか見たことがない。
  • 妻梨:名詞。梨。実際にそういう梨の種類はなかったでしょう。つま(配偶者。男性女性どちらから見た場合も「つま」です)が無い、に掛けます。
  • の:格助詞
  • 木:名詞
  • を:格助詞
  • 手折り:ラ行四段活用動詞「手折る」連用形
  • かざさ:サ行四段活用動詞「かざす」未然形。未然形であるのはア音であることと、直後の助動詞「む」が受けることによる。髪にさす(簪す)と、小手にかざす(現代語のかざし見る、に近い)が、やわらかく掛かっています。
  • む:直接/主体意志の助動詞「む」終止形

その、非常によいですね。

(ややくどい訳)(遠く見れば)紅葉の葉の赤黄が色あざやかに映えています。(私はでも)(この手元の)梨の白い花の咲く小枝を手折ってかざす(髪に差し、遠くの紅葉をかざし見る)つもりです。

なぜ、ここまでことばを補わなければならないのか遺憾極まりないのですが、そのことを補って余りある、いい歌です。

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理由の一つは、難しい言葉遣いがひとつもないことです。

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二つ目は、「黄葉のにほひは」の「は」にあります。

「は」は、主語を呼ぶ(主格に使われる)のではありません。実際、現代国文法でも「は」は係助詞に分類されます。(橋本進吉さんの仕事かな? 知らんw)現代国文法の格助詞は「が/の/を/に/へ/と/より/から/や/で」です。「は」の本質は、比較、対比と限定と話題提起です。(他はxxxだけれど、あるいはどうか知らないけど)私は、みたいなときに使う。あるいは、「Aは」の後に、「Bは」が来ることを前提する。

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確かに、紅葉は紅葉で赤黄に映えている。だけれど(一方)私は、梨の白を選ぶ。この歌の見事さは、下の句の梨の白を詠むことが先に念頭にあって、しれっと、自然な形で紅葉を持ち出すところにあります。そのときに「は」を用いることを忘れない。この人は手練れですよ。普通は逆なんだ。《私「は」白。でも、それを見下ろすかのように、紅葉が色あざやかに映えて/生えています》。

でも、この順だと菅家ですね。壮麗だけれど平板になってしまう。

それをこの歌は、嫌味にならず、初めから本能的に計算をして、予定通りに「私」にフォーカスを引く。しかも、「白」とはどこにも記していない。

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年配の方が白髪を嘆いた、洒落でしょうかね(歌い手が男性か女性かは問いません)。もしそうだとすると、黄葉の含みも違ってくる。

遠く、あちらで艶やかに着飾っている若いお方のうらやましいこと。私は年老いて、それを眺めるだけ、白髪の、妻梨の花です。

だとしたら、我が身を花になぞらえるのは女性です。若い高貴な男性に叶わぬ恋をしている。ただ、「而れども」はこれは漢文から入った言葉遣いです。そこを採れば男性の手による歌。それでもなお、男性が女性に仮託した線は捨てきれません。

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独り言か、誰かと一緒に紅葉を見に行った折の、それと分からないような思いの打ち明け(告白ではないのだ、諸君)、思いの丈が胸を衝いて出てきたか。その点も、解釈欲をそそります。私「は」(他の国文学者のこと「は」知らんが)、これは同伴者がいて、なおかつ、言葉には出さないで胸の内でつぶやいたものと受け取りたい。

(紅葉がきれいですね。私は気づけば白髪になってしまいました。手元の梨の花で控えめに飾ることにしましょう。)

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以上に縷々述べてきたような野暮を、しかし、この歌は語っていません。「花鳥風月」「もの」に寄せた心映えの、ほんのわずかな揺れ、響き、記さなければ忘れてしまうような動き、変容、ただそれだけを平明に、色だけが心に残るように歌っている。しかも諄いようですが、韻を枕のようにして、「しかれども」なんていう扱いの難しい接続詞で受けています。人麻呂の仕業か(笑)。

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まだ紅葉には早いですが、いい歌と思いましたので、紹介することにしました。