illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

黙っていて、すぐれた文章が上がってくる

黙っていて、すぐれた文章が上がってくる。

すばらしい。おれはずっと読者でいたい。

tanpopotanpopo.hatenablog.com

ハレとケというのがあって、たんぽぽさんは晴れがましい場なのにハレに自分を持っていけないんですね。ほんとに、すばらしい。昨今、ろくに晴れがましくないことでも晴れがましいように書く界隈があるでしょう? ないんですってば。人生の九分九厘(99%の意味じゃ)はケで、できている。ごくまれに、ハレを迎える。すると、中身は変われないから、せめて外身の力を借りようとする。これが「晴れ着」です。

そのハレの場でたんぽぽさんは何をなさったか。

表彰は、選考委員長の作家、太田治子さんによって行われました。

太田治子さんが私に「本当に困ったお父様ね」等と仰ったのですが、私はすっかり舞い上がっていてよく覚えていないのです。

賞状を受け取った後、握手の手を差し出され、私は畏れ多くもその手に触れました。

柔らかな、温かい手。

こうだよね。うんうんと、思って、読み進める。

この中の半分は太宰の血が流れているのだと思うと、私はそれがどんなに羨ましいか、私がどれほど太宰に傾倒してきたか語りたくなるのですが、それは絶対にしてはならない事でした。

はっはっは。そうだと思う。抑制するのか。するわなあ。

このエッセイの白眉。圧巻。

僭越にも程がありますが、太田治子さんと私は少し似ているような気がしました。

お会い出来た事、あの手の柔らかさを一生の宝物として、生きて行こうと思います。

ご病気のことはあるかも知れないけれど、まだ、もうちょっと、あといくつか書けるさ。しかし、はてなの外に、いよいよたんぽぽさんの才能が知れてしまったか。知れても、作風や文体が変わる方とはもちろん思わない。そうじゃないところから、何かが迸り、にじみ出てくる。

前にも書いたかも知れないが、たんぽぽさんの、ふいにタイムラインを上がって、いつの間にか目の前に置かれている断章を読むと、「私小説だってわるくない」(むしろ私小説こそ書きもの本来の味)という気がしてきます。

おめでとうございます、というより真っ先に浮かんだのは「いいなあ」というフレーズでした。