福田恆存論から、はあちゅう方面を斬るとかいろいろやらなくてはならないことがあるのですが、いったん筆を擱いて、『新潮45』2018年8月号に掲載された杉田水脈「『LGBT』支援の度が過ぎる」を精読していきます。
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まず初めに、これから行う批判にとって不利な点から申し上げます。『新潮45』本号は、「日本を不幸にする『朝日新聞』」と特集の銘を打っています。杉田論文もこの大枠に沿って語られることだということには、批判側も、擁護側も、前提しておいてください。
では冒頭から引用を始めます。
この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるのではないでしょうか。
『新潮45』前掲書P.57
「およその傾向」と予断を含めてしまうより先に、次のグラフのこと、つまり新聞名と報道件数の関係を見ておきましょう。グラフは私が作成したものです。
形式的なことですが、まず、
- 「この1年間」が具体的に何年何月何日から何年何月何日までかが記されていません。
- 「LGBT」で検索を行ったという「新聞検索」の具体的な手続きが記されていません(もし、LGBTというキーワードが1回以上用いられた記事の件数であればそう記すべきです)。
引用を続けます。
朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをえません。発行部数から行ったら、朝日新聞の大きさは否めないでしょう。
独断と印象論への誘導です。
- 何をもってリベラルとするのか。また、朝日新聞や毎日新聞がリベラルに含まれるとする理由が何か。記されていません。
- 「『LGBT』の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようです」と仰っていますが、何をもってそう認定されるのか、記されていません。また、ひとつ上に引用した部分では杉田さんご自身、記事の内容に触れていません。
- 報道件数が多いから、よりリベラルなのでしょうか。いちおうは認めるにせよ、もしそうなら、朝日よりも毎日のほうが(本件からは)よりリベラルということにもなります。
発行部数と報道件数を掛け合わせたグラフを作成してみました。
発行部数は読売:
メディアデータ | 読売新聞広告局ポータルサイト adv.yomiuri
を参考にしました。上グラフ、下表とも同じ。
本来、発行部数は各社の言い分を比較したり、押し紙分を考慮したりと、手続きが必要ではありますが、ぱっと見、読売さんの値を使ってもよさそうとのざっくり判断です。
新聞名 | 報道件数 | 発行部数 |
部数×件数 (単位:万) |
摘要 |
朝日新聞 | 260 | 6,113,315 | 158,946 | 全国版朝刊 |
読売新聞 | 159 | 8,732,514 | 138,847 | 全国版朝刊 |
毎日新聞 | 300 | 2,928,591 | 87,858 | 全国版朝刊 |
産経新聞 | 73 | 1,530,238 | 11,171 | 全国版朝刊 |
- 杉田さんは「発行部数から行ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう」と仰っています。確かにそのとおりです。
- けれど、読売の影響力(部数×件数)は朝日の87.4%(=138,847/158,946)です。互いによく牽制が効いているようにも見えます。
引用を続けます。
最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らへの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
- ここも、印象論と、根拠のない論断です。
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今回のまとめです。
杉田さんの今回の論文から以下が分かりました。
- 杉田さんが今回行った、報道件数を引用する手続きは杜撰なものである。
- 杉田さんは、「およその傾向」「リベラル」といった予断、印象論から本論に入ろうとしている。
- 数字からは、朝日新聞と読売新聞の影響力は比較的拮抗しており、朝日新聞だけを特に取り上げる理由が薄いようにも見える。
- 杉田さんは、「最近の報道の背後」をご自身が独自に「うかが」って、そこから本論に入ろうとしている。第2項にもいえることですが、具体的な内容、論拠が示されていない。
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また、明日続けます。明日行う、次の引用箇所から、杉田さんの思想がより浮き彫りになってきます。