illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

北条裕子「美しい顔」少し丁寧読(8)

前回に引き続き北条裕子「美しい顔」をやっぱり少しだけ丁寧に読んでいきます。

dk4130523.hatenablog.com

「ねっ。今日はねえちゃんと一緒に寝よう」しゃがんで弟の腕を取ると弟は言葉にならない猫がうなったみたいな声をだした。上がりかまちに立たせ、足にへばり付いている靴下を剝がす。足の指は白くふやけ、爪が十枚ともあまさず青紫に変色していた。タオルで指の間に詰まった土を落とし、手で軽く摩擦する。

とりあえずの避難先とした公民館に行き、弟のヒロノリの趾から土を落として温めてあげる描写です。「言葉にならない猫がうなったみたいな」は、いかにも稚拙ですが、シーン全体としては、悪くない。

次が、いいです。

「よっしゃ」私は勢いをつけて泥を含んでぐっしょりした靴を持ち上げた。「今晩はあの話のつづきしてあげるわ。月で餅つくうさぎの話。あの臼の中でつかれているのは実は、実は……」抑揚をつけて喋りながら靴を下駄箱へ入れる。弟は笑ったのか泣いたのか、ぐすっという声をひとつあげて、小さなアゴを私のスカートに押すようにうずめてきた。これはしぶしぶオーケーの時のイエスである。

この、「よっしゃ」は効いている。「私」は対話を求めているのですね。ヒロノリ君の「しぶしぶイエス」の描写も細やかです。北条裕子さんは地震津波の全景といったポリフォニックな技術が求められるところよりも、こういう「もののをかし」「もののあはれ」に近づく描写のほうが向いていると感じます。

少し先にある、次の部分は、功罪半ばです。

そのうちライフラインは復旧する。水もガスも電気も普通に使えるようになる。学校も再開される。住む場所もどうにかなるだろう。そしたらゼンマイは止まる。それはもうじきだ。私にはわかる。本物の夜がやってくる気配がしている。それが忍び寄る足音が聞こえる。それは恐ろしい音である。父を失った時、それはやってきた。私は十二歳だった。お祭り騒ぎの通夜、葬式。たくさんの見知らぬ大人たちがかわるがわる小学六年生の私に親しげに声をかけてきてはかまった。

ここまではいい。まあ、「私にはわかる。」は、自意識が邪魔をするから削除しておきましょうか。世界が異変を伝えてくるときに、かつての個人的な体験が呼び起こされるという(いってみたら古典的でいささか陳腐な小説作法ではありますが)、このクラシカルな感じは、捨てがたい。

いつもと違う家の中、いつもと違う服、いつもと違う先生の態度、いつもと違う食べもの、いつもと違う母の様子。何かが変わっていくのだという気配。しじゅう緊張していた。嫌だとか苦しいとか思う隙はなかった。

ここは書かないほうがよかった。「いつも」「いつも」「いつも」「しじゅう」。前の記事でも指摘しましたが、これが北条さんの手癖の悪さです。表現効果を狙ったにしても、この手が頻繁に出てくると、さすがに鼻につくというもの。

褒めるほうに戻りましょう。

ヒロノリが配給された毛布の中で上体をくねらせ、しきりに腕を背中にまわすので私はまさかと思って「体、痒いの」と聞くと、ぼそぼそ小声で「かゆい」と言う。弟はアトピーをもっていた。乾燥するとすぐに痒がる。

弟思いのやさしいお姉さん。「私」(あるいは≒北条さん)の生い立ちから、311の前日に至るまでの、ヒロノリ君との関係を軸にした短編をお書きになるとよろしいかと思います。それでは芥川賞のほうに行けない? 行かなくたって、いいじゃないですか。

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追記:

行けます。小島信夫庄野潤三