illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

北条裕子「美しい顔」雑読(5)

前回に続いて北条裕子「美しい顔」を雑に読むシリーズです。なおめんどくさいので引用は改行や字下げを基本的に省いています。

dk4130523.hatenablog.com

毎日毎日ボランティアの人が私の目の前を行き来してせっせと働いているのを見るたびに私は心の中でどうもすみません感謝しますと思いながらしかし彼らのワッペンに「がんばろう日本」と印刷されているのを見るたびに自分の顔が鬼畜のように歪んでいくのがわかった。私はおそらく、がんばろう希望をもとうと言われることが嫌なのではない。その言葉自体が憎いのではない。そんな美しいものにまでついには唾を吐かなくてはならなくなってしまったこの自分が憎いのだ。

http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2018/180703_gunzo.pdf

私が思い起こすに、311から少なくとも611あるいは2012/3/11くらいにかけてはこうじゃなかったです。文字通り「がんばろう福島」だったし「がんばろう日本」でした。それが被災者や被災地個々の思いとは別の《何か大文字》に吸収されていってしまう《いやらしさ》(の萌芽)というのは確かになかったわけではない。けれど―私もずいぶんカブで乗り付けて物資のピストン輸送を少し手伝ったり、地元で崩れた大谷石を積んだりしましたが―憎しみが顔をもたげる暇などありませんでした。

(駅までの10kmの道のりを、和装で、貴金属を放り込んだ箱と思しきものを両手に下げて人の流れの中を歩いていく御婦人の姿をみて、《空襲だ》とあの日の夕方に思ったことを私は覚えています。異世界でした。2年前に自分が書いたものから引用します。)

僕の実家は震度6弱の隠れ激震地区でした。11日の夜に、僕は祖父母から聞いていた空襲の風景を重ねて街の様子を見ていました。印象的だったのは、和装で、高価な装飾品を急ぎ身に着け、同時に背には毛布のようなものを背負い、手には大きなトラベルケースを引いて、駅のほうに歩いていく女性の姿です。電気が止まっていましたから、駅まで幹線道路を10数キロ、行列をなしているその中を、あでやかな着物が夕日に照らされている。見たことのない光景でした。

お前ら X DAY やめて差し上げてね - illegal function call in 1980s

そのような中を科学から支えて下さった早野龍五先生。NHK解説委員の水野倫之さん。江頭大勲位の存在。

dk4130523.hatenablog.com

dk4130523.hatenablog.com

私はまっとうな道徳教育を受けてきたつもりでいた。たくさんの良い教師に巡り会い、教え導かれてきたはずだった。それを自信にさえ思っていた。ありがたいもの、感謝すべきこと、尊いもの、それらを知っていたはずだった。人々の善意のなんたるかを理解できるはずだった。しかし生き残るということは鬼畜のように歪んだ自分の顔を自分の目で見てしまうということであった。私はいま、恥ずかしいのだ。生き残ったということが恥ずかしくて恥ずかしくてしかたがないのだ。非常時だからこその助けあい、支え合う気持ち、やさしい気持ち。わかってる。わかってんだよ。わかってるから恐ろしい。自分の浅ましさが恐ろしい。やはり自分のような人間が死ぬべきだったのだと思う。

中二病丸出しの恥ずかしい文章だ…。しかもテーマが311だぜ。然るに、もし、この文章を一旦は受け入れるとして、その思想的帰結は、「ならば恥ずべきはいまこの瞬間では?」ということになりはしませんか。よくまあ女子高生を擬態しているとはいえこんな太宰風味がいけしゃあしゃあと書けるものだ(唖然)。

やさしい海に浮かんでもう一歩も降り立つことのできなくなった私は他にすることもないのでそれらを日ごと眺めているわけである。だが眺めれば眺めるほど息が苦しくなっていき私はこの町がいよいよ怖くなった。怖くなってこのなじみの町にもう一歩も足をつけることができなくなった。自分が生まれ育ったこの町に足を下ろすことができなくなってしまった。私は今でも海の上にいる。あれからずっとトタン屋根の上にのって漂流しつづけている。いつ潮が引くのだろう。

この感覚はわかります。痛いほどよくわかる。けれど、これは311以前の閉塞の感覚のほうがより近く、ふさわしいと私は見る。居場所がない感じ。どこにいっても、平板な、根を失った、氾濫する印刷物、サイネージ、3桁国道のロードサイドの風景からくる圧に視神経と三半規管を歪められていく感覚。私もそれにはずいぶん悩まされました。むしろ、その日常を、切り裂いたのが311でした。あるいは、それ以前の災厄でいえば、村上春樹が比喩的にときおり語っていたように、オウムであり、阪神大震災であったりしました(優れた結実のひとつが「かえるくん、東京を救う」)。

*

少し、今回は真面目に向き合って論じる価値があったのでちょいちょいちくちくやりました。

3点補遺。

  1. 北条さんあるいは「私」の《自分のような人間が死ぬべき》感じ方は、むしろ21世紀に入って311の前に日常を侵食していた感覚ではなかったか。
  2. それを揺れと、続く闇とともに切り裂き有象無象も魑魅魍魎も込みで生に喝を入れた / 救った(ここ点々打って)のが311という側面もあったのではなかったか。北条さんや「私」が自己回復するのとは違った意味で。
  3. 北条さんは「美しい顔」の次、ないし今後の作家テーマとして、お生まれになった1985年から2011年3月10日までを(いまからでもいい。書くとおっしゃるなら私は撃ち手を待たせるに吝かでない)《なぜ北条裕子は「美しい顔」に向かったか》と問う、物語をお書きになったらいいのでは。311とは切り離して、ね。

じゃね。まだ明日以降も雑に読み続けるよw (´;ω;`)

dk4130523.hatenablog.com