illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

北条裕子「美しい顔」雑読(4)

前回に続いて北条裕子「美しい顔」を雑に読むシリーズです。

dk4130523.hatenablog.com

お婆さんの家は半壊だったから食料が少しは残ったらしかった。何か秘密のものでもくれるみたいにしていつもこうして甘い物を握らせてくれるのだ。弟のぶんと必ず二つずつだった。

お婆さんはそれ以上私に何も聞いてはこなかった。かぎ爪になった指で飴の袋の一つをあけはじめていた。お婆さんのきめの粗くひび割れた指が、唇に当たった。突然の甘さが口中から唾液を呼んできた。ありがとう、と言ったつもりだった。けれど自分でもようやく聞き取れたくらいのその声がお婆さんの耳に届いたようには思えなかった。それでももう一度言い直すことができなかった。お婆さんは三度、亀みたいにゆっくりとうなずいて、それから目を細め、もうひとつの飴を私の手に握らせた。そしてまた腰をゆらしながら歩いていった。

お婆さんは行ってしまい、甘さだけが取り残された。

久しぶりに人と話した、と思った。

話しているときだけ、心の歪んでいく音が止まる気がする。だから誰かと話をしているほうがいいのだろう。

本作、悪いところばかりではありません。ここは、まあまあです。北条さんあるいは「私」は、言葉と、言葉だけではない十全な関係性を希求している感じが伝わってきます。ただ、100点満点で40点くらい。

「キャンデーあがいん」

干物屋のお婆さんだった。シミだらけの拳を差し出してくる。

だがすぐにお婆さんは目を丸くして飴を握った拳をひっこめた。

「なしたって」

お婆さんは折り曲がった腰をますます折り曲げて、つらそうな姿勢で私の顔をのぞいていた。

「あんべ悪い?」

そう言われて私はようやく、自分がかなり酷い顔をしていることに気がついた。

http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2018/180703_gunzo.pdf

震災で半壊になった干物屋のお婆さんが「私」に声をかけてくれるシーンです。上の引用箇所の少し前。北条さんあるいは「私」は、挨拶ができないんですね。最低です。最低さを感じさせるだけここの叙述はまあまあだと先に申し上げました。

悪いのは挨拶ができないことだけではありません。「何か秘密のものでもくれるみたい」「亀みたい」みたい、の連呼はいささか筋がよくない。引用はしませんでしたが近くには「銅像みたい」などというのもあります。「心の歪んでいく音」この表現も陳腐。

そして全体に、厚意、親切を向けてくれる(それも、何度も:「いつもこうして」)年配者に対して、際立つのは露悪的な観察眼と沈黙です。だれかと話していたいのに、話しかけられて、会話を成り立たせることができず、剰え、温かみのない細部描写を連ねる。他者や風景は、未熟な自我の自己回復のための具ではありません。具にしたいのなら別に構いませんが、小説観としては古い。判らなければ(あれだって問題のある書物ですが)先ず以て柄谷行人「風景/内面の発見」をお読みになってみてください。

本作を無駄に15回ほど通しで読んだので、これが後半の回復(?)の伏線(?)らしいことは理解しているつもりです。しかしそれだって、作家の視線の卑しさは否定できないと感じました。

こうではない、登場人物の尊厳を保つ書き方がなかったのでしょうか。いい歳をして。これが、上手い、リアルだとお考えなのでしょうか。芥川賞候補にとりあえず持ち上げてみて、次作で判断するのが大人なのでしょうか。干物屋のお婆さんだって被災者のひとりのはずです。

私なら、自分の物語をこうは記しません。そこに限界があることも自覚しています。けれど、実際、結果的に、記しませんでした。

*

追記:

あふれ出してとまらない卑しい言葉の洪水に溺れそうだった。頭が不潔なものでぱんぱんになって裂けそうに痛い。息が苦しい。お婆さんがくれた弟のぶんの飴玉を手の中で握りしめた。絆、希望、助けあい。美しい言葉たちが輸入されてきた。絆、仲間、頑張ろう。清潔な言葉たちが支援物資とともに全国各地から入ってきた。海水が、やさしさを日本全国から運んできてこの田舎町を満たした。

北条さん、あなた被災者じゃないでしょう。あなたの想像力と表現力で代理戦争が可能と思っていますか。一方、干物屋のお婆さん(のこと)は(あなた(の想像力)が)被災者(にした/仕立てたの)でしょう。それで上のような扱いですか。私の中の志賀直哉が激おこぷんぷん丸なのでございます。