illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれは低能先生の側に立ちたいと思う(2)

われながら、圧倒的に間違っていると思う。

dk4130523.hatenablog.com

きょう、Aoderyさん(id:Aodrey)と話をする余慶に恵まれた。

ニャート云々の件りは目をそむけていただければ。

おれが胸を衝かれたのはAoderyさんがおっしゃったラスコリーニフの部分である。いや、比喩で文学と現実を結んではいけないんだ。明らかに、いうまでもなく、違う事象と思う。けれど、(いや、やめておく)。

おれ、松本氏と同じ環境に置かれたら刺しに / あいさつに行かない自信がない。この、想像上の立場交換も、間違いであることは重々承知している。けどさ、別に九大文学部でイスラームをやったから(おれが本郷でアジア国際関係論をやったというので親近感を覚えて)庇うわけじゃないぜ。あいつ、律儀なところがある。思想と行動のギャップを一足とびに飛ぶ危険については、三島由紀夫の主要作品を頭に叩き込んだおれは、多少はわかっているつもりだ。

けれど、三島に、生前、橋川文三があともうひとりいたなら、と思うわけよ。低能先生にも、理解者が、伴走者が、あともうひとり、ふたり、いたならと思うわけだ。それって、仮定法過去完了の話なのかね。仮定法過去(つまり現在、いまこの瞬間)の話じゃないのかと、思わずにいられない。

間違ってるっていってるじゃねえか。

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出所まで、ざっと15年か。いま42だろう。57か58で、出てきたところで、仕事はないわね。桐箪笥こしらえて模範囚ってんで池袋か川越の展示会に出されて手間賃得てどうにかなるか? なるまいわね。そのころおれは60だ。どこぞの子会社で役員か何かで一丁上がりだろう。くーちゃんの看取りの準備を進め、秋元康竹中平蔵を刺しに行く計画の総仕上げにかかっているころだ。

月3万。12ヶ月×15年で180ヶ月。540万になる。出所後の再起には到底足りんわな。

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まあでもさ、おれは積立を始めるよ。通称M基金。おまえらすぐに忘れちまうだろう。よよん君のときがそうだった。「忘れないよ」「繰り返し、思い返されるべき話」。15年経った。それでいいのさ。それ見たことかとは、思わないけれども、おれは続ける。Hegex氏の墓参りには、おれも伴っていの一番で行かせる。

どうか、それで免じてくれないか。弁護士に伝えてくれなくていい。みんなが忘れた、寝静まったころに、だれかひとり、いや、0.5人でいい、思い出してほしいんだ。

出所日だけ、事前にこそっと、それとなく、伝えてくれ。刑期を務めたってのは、いちおう、法的には赦されたってことだろう? 責める文脈から解放されるんだろう? Googleのキャッシュから不名誉は消えるんだよな。

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なぜそんなに頼まれもしていない肩を持とうとするのかって?

松本はおれに話しかけてくれた。おれは励まされたんだよ。いまは店を閉じた、船橋西武の裏道を、肩を落として歩いて帰るときに、通知が灯った。「相変わらずの低能だなw」「だからお前は」云々。

書かれた言葉遣いじゃない。そんなことはどうでもいい。どのみち世の中もおれも狂ってる。印刷して心療内科に持っていく、おれひとりくらい、酔狂がいたところで、大勢に影響はすまい。