おれが芝浜に救われた話はこれまでに幾度か記した。
23くらいのときに失語症にかかってそいつが自律神経失調症を連れてきた。大学院のときだ(1997頃)。所在なくて、寄席に通った。歌丸師匠の「火焔太鼓」を聞いたのもそのときだ。
だれだったか、芝浜を演ってた。例のサゲを聞き終えて、おれは「うん」とつぶやいた。新宿三丁目、末廣の端っこのほうの席で、座布団に涙がぽたぽたと落ちてきた。帰ってきて、何だったか、落語全集の芝浜を探した。いうまでもなくそれは三木助で、おれは飽きるほど三木助の芝浜を聞いた。芝浜をなぞることでおれは言葉を取り戻した。
「夢」「現」ゆめとうつつ、その鮮やかな対比はそのころ読み始めていた近松や世阿弥も触れていたと記憶する。リアリティなんてものはないと思う。あるにはある。けれどそれはノンフィクションの横並びにあるものとは違う。作り話でも、作り話であることを忘れさせるのがリアリティ(の、ひとつの主流)だ。三木助の早朝の描写は、あれはあそこに芝の浜が実在した。他のこまかいくすぐりも、さすがに安藤鶴夫だ。人間的には問題があったらしいが、それでも汚い革の財布が流れ着いて来、引き寄せられるのを待ってくれている。
次いで、評判の高いのが志ん朝の芝浜だろう。
うまい。後述する、おとっつぁんの少うしざらざらしたところのある芝浜を、艶でまとめた。安心して聞いていられる。この、おとっつぁんとおっかさんは、志ん生と清水りんちゃんなのだと思わず思って、くすくす笑いをこらえきれない。志ん朝は、おやじ、おふくろのことを、よく見ている。
ただ、やっぱり、ここは好事家の間でも(まさにこの点が)評価の分かれるところだと思うのだけれど、早朝の浜の描写は、三木助がいい。
志ん朝は、おやじの型を受け継いで、朝の浜の描写をやらなかった。それでいて、この全体の造形である。志ん朝は、やっぱりすごい。引き合いに出して済まないのだけれど、そうして本人がいちばんよく知るところとは思うのだけれど、ここんところなんて、談志のとうてい及ぶところではない。
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それでその、おやじの芝浜である。
もう、下手で笑う。甲高い声で「まだぁ、魚河岸がぁ」w ひでー。なんだこりゃ。
志ん生さんてのは、本質的には不器用、自分という実在の面白さを場に擲つ、それが客の期待でもあり、ぴたっとはまるときはいいが(100回に98回くらいははまるのだ)、たまぁに、外すときがある。
巻き戻して、冒頭、枕だけでいいから聞いていただきたいのである。
これは、三木助さんが1961年の1月16日に亡くなって、その2週間後、1月の31日の東横で採った音源である。
えー、三木助さんが、ちょっとこの、遠方のほうへ行っちまって、それがために、えー、芝浜が出ております。えー、めったに、あたくしはやりませんけど、出てるもんですから、やるという。(拍手)えー、「まだぁ、魚河岸(いおがし)がぁ」
もう、何遍聞いたか自分でも知らない。わがことなれど、他所からの余計な斟酌は禁じるべきだと思うが、志ん生さんは、あるお題に、型に、はまることを生来の苦手、不得手としていたのではないか。「まだぁ、魚河岸(いおがし)がぁ」
広重百景 / 芭蕉を引いて浮世絵の稜線をなぞるように運んでいく三木助。「翁の句に、あけぼのや。白魚白きこと一寸。なんてのがありまして」そりゃあ、見事なもの。志ん生 / 志ん朝は、あんまり鮮明な夢は夢じゃないといって嫌った、けれど、どうせ夢なら現(うつつ)と見紛うものを見て、溺れていたいのも人の性。酒でなくても酔う術が、きっとあるはずだろう。
昨日、本書を手にした。たけしが、いい具合に枯れて、淡い色合いで志ん生のことを追想している。たけしは、率直にいって、時代から外れ、下手になったと思う。だけれど、本書には2点の美徳がある。ひとつはその、たけしの地声が志ん生とうまい具合にハモっていること。内容は、まあ、すかすかとはいわないが、情報や裏話が密に詰め込まれたといった体裁のものではない。だが、その力の抜け加減が心地よく、思わず買ってしまった。
もうひとつは、(意外に)充実したディテールである。巻末に、志ん生の代表的な演目と、それへのたけしの寸評(感想)が並べてある。これが、楽しい。かねてより、志ん生が三木助の芝浜を東横落語会で代演した日付を確定したいと思っていた。まあ、1961年1月31日ということはある程度、判っていたのだけれど、なかなかそれと書いてくれる書籍は思いのほか少ないまま、今日に至り来たった。うれしかった。
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追記:
おやじの上手いのは、たとえば、こっちな。
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