illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

明日(6/25)は何の日ふっふー

昭和34年6月25日。2, 3, 4, 5, 6と、きれいに揃って、明日は天覧試合の日です。ま、正力松太郎の陰謀なんですけれども、名勝負であったことは間違いあるまい。例えば次のフィルム。ザトペック村山実の躍動に戦慄する。

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3球目を待ち構えるバッターボックスで長嶋はお尻をぷりぷりっとさせる。バッターボックスに入ったことのある男性諸君ならわかっていただけると思うのだけれど、ぽこちんから、蟻の戸渡りにかけて走るあれのことである。長嶋は本気だ。

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「いわゆる涙をしてね、」

ミスターは村山実との対戦をいつも楽しみにしていたのだろう。そのことは1本目の動画にみられる構え、フルスイングによって斬られる空気の震えによっても実によく伝わってくる。

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山際淳司が、この、昭和34年6月25日のゲームについて、もうひとつの(もちろんひとつは「たった一人のオリンピック」にほかならない)金字塔と呼ぶべき短編を記している。

「異邦人たちの天覧試合」という。

前に書いた。

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こちらを、読んでほしい。いつもは「おれの書くものは読んでも仕方がない」が基調の私であるが、本作は別だ(私は昨今の、アジアやアメリカと日本との関係を思うにつけ、この山際作品が胸をよぎってしまう)。

それだけではない。本作品には山際ノンフィクションの「よさ」が存分にあらわれている。ひとつは、解説に立った海老澤泰久が述べているように、

山際さんは、普通の作家なら見逃してしまうような何気ない話を何気なく書くのがじつにうまい。本書にはそういう話がたくさん詰まっていて、山際さんのその特徴が非常によく出ている。

これのことである。そこらへんのライターなら最後の1球に(もういいよ…と読者が辟易しているのもお構いなしに)何番煎じかの色をつけることだろう。山際さんはそこを「最初の1球」にスポットを当てる。この発想はなかなかできることではない。

いまひとつは、入念な取材である。金田正泰、カイザー田中、島秀之助(主審)、水原円裕(茂)、川上哲治、佐伯文雄(ジャイアンツ球団元常務)、鈴木惣太郎、若林忠志ウォーリー与那嶺王貞治…、実によく、ひとりひとりに丁寧に話を聞き、ストーリーを紡いでいる。

三点目は、差別的な視点、感性のないことだ。むしろ正反対といっていい。二重国籍のかれら(金田、カイザー、若林、与那嶺、王)の、あくまでも、国籍や文化のちがいや政治性が本人たちの予期せぬところで影を落とした、「複雑な内面」に、プレーンに、中立に、抑制的に、寄り添おうとしている。

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私が昭和史を掘り下げることを大学の専門課程で決意した理由のひとつがこの作品の存在である。91年に入学し、93年に2単位を残して留年して旅に出て、戻ってきた私は、93年にそのことを決意した。大学を出るのが96年。文春Number編集部を受けたのは、山際さんが亡くなった95年の夏のことだったと記憶している。

魂のよりどころを失った私は、大学院に進むことを静かに決意した。

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自分の話が過ぎた。しかし、けれど、この、(若き)毒蝮と(若き)上岡龍太郎の語りにぜひ耳を傾けてほしい。2:00過ぎあたりから。

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歴史は学んだところで何ほどのものはない。

しかし、けれど、人は歴史的存在だ。ということが、45を過ぎて、身に降り積もった澱(おり)のようなものを肩から振り払わんとするにつけ、「明日(6/25)は何の日ふっふー」とつぶやきながら、今日こそは鶯谷の街娼を買いに行くまいかと思うのである。何のこっちゃ。(と、ほら、私の書くものは読まないほうがいいのだ。はる君がものごころを覚える前に本稿は消されるだろう。)