旗を思ふのはたとへばかういふときです。
青旗の木幡の上をかよふとは目には見れども直(ただ)に逢はぬかも(万 148)
天智天皇がおかくれになった後(おそらくしばらくして)、皇后倭姫がふともらした感懐です。という解釈の前に、口に出してまず心打たれるのは、悲しさがいや増す盛りに、「青旗」と、ア音で始め、旗と幡と音を踏むところ。そこから「かよふ」を通じて、視界がぐっと空から迫って、御陵をかすめ(下の訳で紐解いてみます)、逢ふ、というきはめて個人的な思ひで幕を下ろすところ、かういふのは現代人にはとても真似のできるものではありませんね。訳します。古文をやつてゐてほんたうによかつた。
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青く茂る木々
愛しい大君
私はいま御陵のある山城山科に来ています
木幡(その木々の端)におはします御霊
帝が天との間を通われるご様子は
いまこうして目にありありと浮かびます
けれどもう手に触れてお会いすることは
できないのですね
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天智天皇(626-672)、倭姫王(生没年不明)、1350年の時を経て、山科陵に天智帝のおはしますことを、私たちは強く確信するでしょう。科学ではない。信仰でも、イデオロギーでもない。亡くした夫を思う気持ち、その強さによるのでもない。倭姫は、極端にいえば、他の人には通じなくてもいいと思って詠んでいると僕は思います。
天智帝がご危篤になり崩御される間に、倭姫のうたはれた歌、4首が万葉に収められています。このたび、例の諸般の事情により、あまりに悲しくて、そのうちとりわけすぐれた歌を、引いてみました。
私信: id:ShougoMama さん、お元気でいらっしゃいますか。