illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

半ダースほどの言い訳

少し、弁明、申し開きをしたいと思います(笑)。

みーちゃんのこと - illegal function call in 1980s

人間の女性にも1度、100回くらい「可愛いね」を言ってごらんなさいな。

2018/06/02 12:20

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「ほ」というのは、古く、峰や木々の他よりも背が高く抜きん出いるさま、目立つさまを表したらしいと、おなじみの岩波古語辞典にあります。漢字伝来後、自然にあっては「穂」があてられ、観念においては「秀」があてられた。感心するときに「ほう」といったりもします。稲穂の穂であり高千穂の穂です。万葉(326)に、

見渡せば明石の浦にともす火の秀にそ出でぬる妹に恋ふらく

大原門部真人(?-745)。734年の歌垣で頭を務めるなど風流な方です。

明石の海。海原に漁船の灯りの立つのが見える。つい、わが妻を思ってしまう。その思いを表すかのように。

少し硬い訳ですけれども。これが「秀(ほ)む」です。後の褒めるに転じます。

これはその、後に残してきた妻への思いであり、思いを鎮める呪いでもあり、明石の海が波立たぬようにという祈りでもあり、でも、思いは立ってしまうんですね。「出でぬる」の「ぬる」が、強意確認とこんにち呼ばれる助動詞(ぬ、の連体形)です。万葉の人が「出でぬ(る)」というときにはたいてい、こらえ切れぬものが出てしまうという風情です。ずっと思っているわけじゃないんです。旅先で、ふとみた風景に喚起され、そこから思いがあふれ出てしまう。あるいは、思いの外、伸びてしまう。

海の漆黒と、火の赤と、その灯りに照らし出される思い人の面影と、上の句と下の句の転調と、明石のア音と、見渡せばの入り(導入)と、私的な思いに収斂していく流れといい(つまり、風景から入りながら、風景を離脱して余韻はあくまでも妻への思いにとどまる)、いい歌です。

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ちなみに、「ほむ」(秀む/褒む)の子孫が名詞に転じたのが「誉れ」です。たとえば「暮れる」が名詞になるひとつの形態が「夕暮れ」。これと同じ(誉む/誉むる→誉(む→あ)れ)で、私の好きな日本語のメカニズムのひとつ連用中止です。近年は「いじめ」などとわるい面が目立ちますが、そればかりではなかった。立ち別れ、なんてね。

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なんでしたっけ、そう、人間の女性に100回くらい僕がほめることのない理由。そう、それでね、朝ぼらけ、きょうもくーちゃんの少し前からの写真をずっと眺めていたんです。なんてことのない写真を、公開している以外にも、撮りためています。それを見ていた。僕が把握してい(ると思い込んでい)た以上に、くーちゃんは僕を変わらずずっと信頼してくれていることがありありと伝わってきました。

そんなふうに僕はいつも後悔ばかりしているんですね。

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母が亡くなる前、病室で、僕たち兄弟のアルバムを取り寄せ、意識の明晰な手持ち無沙汰の間にめくって眺めていたと、たまたま、小中の同級生O君のお母様が担当看護師を務めてくださった、その方が後になって教えてくれました。
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というわけで、言い訳をはぐらかすのが芸の極み(575)。こんな具合ですので、仮に恋人ができても、再婚しても、うまくいく算段のつくはずがないのでございます。

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たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む(中納言行平)

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