illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

お土産屋「八汐」のこと

東武日光駅前に―日光には、宇都宮や鹿沼と同様にJRと東武の2つが少し離れた位置関係にある―「八汐」(やしお)という土産物屋さんがあって、その主(あるじ)はKさんという。T.K先生。確か昭和21年か22年のお生まれで、県内の進学校から東北大学(文学部哲学科だったかな)に進み、母校に戻って長く英語科の主任を務められた。

そのK先生のご実家が「八汐」だ。一時期は店を閉じられていたような記憶もあったが、きょう、企画会議で年上の副部長を叱責した悲しみにくれて、席に戻ってGoogle Mapを開き、懐かしい場所を開いて心を温めていた。2015年9月にはお店をなさっていたようだ。大学を出て(96年)から、数年にいちど、お店を訪ねて背後から英語で襲うことを僕は趣味のひとつにしていた。

“Excuse me, uh, could you recommend me some nice souvenir, if possible, specially made here in Nikko?”

“ん、どうしたんだ。Well, let me check around. So, また来てくれたのか。ようこそ”

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とにかく、彼、K先生の英語はすごかった。構文解釈、レベルはいろいろあると思うが、こと東大二次試験の範囲までなら、every single word, どの一単語、どの成分をとっても受験に沿った正確な解釈とノウハウと豆知識を教えてくれた。ちなみに、古文で同じことを授けてくださったのが、石塚修先生(id:ichikanjin)である。おふたりとも、それぞれに達筆で、石塚先生は行書の味をいくぶん含んだ、(おそらく照れ隠しもあるだろう)金釘5%くらいの流麗な板書だとすれば、K先生の板書は筆記体も日本語も、現代文の先生よりも端正な、見事な、ほれぼれするような字だった。

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高校2年の11月に―石塚先生はそのころすでに大学に戻られていて(と、四半世紀以上前の恨み節を忍ばせてみる。後でお酒をお送りしなければ)―、僕はふと思い立って東大を目指すことにした。それは、高校1年の初夏だったかな、石塚先生が「せっかく選ばれた人なら高い志を持ちなさい」と仰っていたことが思い起こされたから、というのが大きい。ちゃらちゃら、ちゃらちゃらしていたので、それでも、文系上位近くは維持しており、東北大か東京外大には行けるのでは、くらいにちゃらちゃらしていた。そりゃ行くなら女子学生比率の高い東京外大に決まっている。

それが、何だかばかばかしく思えてね。どうしたらいいのかわからなかった。

職員室にも教室にもストーブが置かれ始めるころ、朝、ポケットに手を突っ込んだままK先生を訪ねていった。

「あの、先生、真に受けられると困るんですけど、おれ、東大無理ですよね。あっはっは。忘れてください。寒いっすね」

「お、やる気を出したか。いいんじゃない。やってみれば。やってみようよ」   

K先生は僕がもっとちゃらちゃらしていた1年時の担任を務めてくださった。2年で担任が代わり、でもやっぱり僕はまず初めに頼りにするなら、ドアをノックしてみるなら、K先生だろうと思った。石塚先生がいなかったからである(アメリカン・ジョークは同じことを3回引っ張るのが習わしらしい)。

その、職員室のストーブに手をかざした帰り道、僕は市内で洋書を扱う数少ない書店に立ち寄り、ペンギン・ブックスを買い求めた。200数ページあった。よそから移ってきたアメリカ生活が初めてという人を想定して、暮らしのさまざまなシーンを紹介するエッセイ。それと、ボブ・グリーン、それから、科学史入門、だったかな。

毎日1ページずつ訳して添削をお願いしようと決めた。K先生には事前の了承をいただいていなかった。大人になったいまならかえって腰が引けてしまう、そこを、これこそ若気の至りというのだろうな、

「先生、訳したので見てほしいんです」

「おお、来たか。わかった。帰りに寄っていきな。どれどれ、ふむふむ。へー」(にやにや)

帰りに寄ると、端正なアンダーラインと、端正な構文解釈のポイントがノートに記してあった。真っ赤っ赤。「明日も来る? やめる?」「来ます」「そう? それはいいことだ」(にこにこ)。

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毎日、毎朝、必ずしも必ず(変な日本語だ)続いたのではなかった。

それでも、僕が持っていくとK先生はいやな顔ひとつせず、ノートを受け取って、僕たちの授業をそしらぬ顔でこなしながら―たまに訳文と関連する質問を当ててくれたりして―放課後には赤いノートを仕上げてくれていた。

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以上は、長い長い前振りである。

そのK先生が、僕が高校に在学した3年間で、いちどだけ、文字通り、烈火の如く、容赦なく怒ったことがあった。

同じクラスのN君が、何かのときに、障碍をもった人を揶揄するようなことばを、不用意に発したときのこと。「N、いま何といった?」「…いえ、」「いえ、じゃないだろう」

平手打ち、と呼ぶには強すぎるパンチが2、3発、飛んだと思う。英語の授業中だった。N君はスポーツ推薦か何かで私大に進むことが決まっていた。いいやつだったが、軽はずみなところはあった。仲間内でも指折りに腕っ節の強かったN君が、明らかに気圧され、防御の姿勢をとる暇もなく、床に倒され、固まっていた。

教室が静まり返った。

*

大学を出てしばらくして、「八汐」を訪ねた折、K先生がお子さん、お孫さん、あるいはご親族だろうか、背に負っていらっしゃった。僕が勝手に見た幻だったかもしれない。

後にも先にも、東武日光の駅前を訪ねて、K先生にお声かけするのをためらい、思わずそのまま踵を返したのは、そのとき1回だけである。

僕はいまでも、この歳になっても、不用意な差別的発言を日本語/英語でやってしまうことがある。そんなときに思い出すのは、K先生の、普段は温和な表情と、不意に見せた、激しさだ。いまだに、ここに記した以上のことばを持つことが出来ないでいる。

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ヤシオツツジは栃木の県花です。栃木でやしおといったら、今回の、お土産の「八汐」と、やしおの湯です。)

やしおの湯 ~日光市温泉保養センター | 一般財団法人日光市公共施設振興公社