あけましておめでとうございます。
2018年4月から2019年3月に160億円の売上を作らなければならないメンヘラ部長(44)、趣味は中世古文、部下70名、バツ1、ハイパー高学歴、趣味は料理と水泳とめそめそすること、好きな言語はZ80です。
申し訳ないですがくーちゃんは誰にもあげません。
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すばらしいものを読みました。
私は、少し違うと思います。
こちらのほうが、なんとなく、「合っている」ような気がします。
それから一生分の親孝行もしてくれました。
今思うと、まるで自分がいなくなるのがわかっていたかのような気がしてくるのです。
実家に帰ってきてから一年で亡くなってしまったのですから。
これからまだまだ、何処かへ行ったりしたかったですが、それも叶わぬ夢となりました。
私は、何度でも繰り返し書こうと思うのですが、Shogoさんは、親孝行が現世の目に見えた形では「足りなかったなー」ということは思って、分かっていらっしゃる。おそらく、これから id:ShougoMama さんがどこかにお出かけになるでしょう。そのときには、例えば夜道なら、頭上から足元をそっと照らす灯火に、きっと、なってくれる。これは別に宗教や非科学でも何でもなくて、昔から、数多くの文学作品がそのことを説いています。
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あの、唐突ですが映画タイタニック、実に大学生デート向きのくだらない筋書きだと思うのですが(あれでは映画のあと口説き落とすことはできない)、
ひとつだけ胸を打つシーンがあります。ラストに近いところで、ローズは、ジャックと約束した未来を、ひとつひとつ生き延びた生で、実現していきます。当時の女性にとって「はしたない」行為とされていた、馬に跨って乗ることとか(横座りがスタンダードでした)。自由とか、女性解放とか、僕はそういうのは思わない。左右もされない。けれど、ローズの生はジャックによって確かに変わった。その、「誰かの生が、誰かによって確かに変わる」こと、これは控えめに言って、あり得ると思うのです。
僕自身が、物語を書いて、そうでした。
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例えば、ShougoMama さんが、Shogoさんが、自身で「これをやりたかったなー」「やっておけばよかったなー」あるいは「母さん、これをやってみなよ」と、仰りそうなことが、きっとひとつふたつ、あるいはそれ以上に、思い浮かぶことがあると思うんです。それを、2018年は、やるといいのかな、なんてね。
僕もそうです。2001年4月25日に母を見送ってから、彼女は僕に「狭いところにいないで世界を見なさい」としきりに説いていました、だから、僕は僕なりに世界を見るように努めてきた。とても間に合わないのだけれど。
話はまた変わりますが、猫が短い期間の子育てを終えると「シャー」と威嚇して、産んだ子を追い立て、自立を促すでしょう? 私の母はあれのいささか過激な形だったように今更のように思います。(ブログを拝読する限り、ShougoMama さんはそのようなことはなさらない方とお見受け致しますが。)
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誰かの代わりに、夢を見る。
この記事のタイトルは蝉丸、
【百人一首講座】これやこの往くもかへるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関─蝉丸 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】
これのもじり、当世風にいえばパクリですが、私これ、常々、不思議な歌だなあと思っていまして。蝉丸は、京滋の間の関所、逢坂を行き交う人の夢に寄り添って、彼ら彼女たちが夢の中で出会ったり、別れたりするところを、もにょもにょと夢現(ゆめうつつ)に、まるでお釈迦様のように見て、歌っているのですね(違う? 反論は受けて立つぜw)。本歌、小倉百人一首の、圧倒的屈指の一首といっていいでせう。蝉丸よくやったw
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悲しみそれ自体が、原因にまで遡って消えることはないでしょう。けれど、その悲しみに代わって、同じかそれ以上の量の夢を見ること、これはきっとできると思います。私が自分の記した拙い物語で、その出発点、糸口にしようとしたのが、それでした。
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すみません、新春迎春には、似つかわしくない記事かもしれません。
ですが、私は2017年に続く今年2018年を、ここから始めなければと、年末来、ずっと思っていました。
往還の別れて知るや逢ふの坂
往と還は、別れて初めて知るものなのだろうか。逢坂の関よ。
ShougoMama さん、ぜひ、今年も記事をお続けになっていただけたらと思います。その形容し難い(何とも言えず優しく流れるような)言葉の数々に、心を動かされている方は、私以外にも、きっといます。