illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ブログで振り返る船橋海神さんの2017年

今を遡る25年と少し前、駒場には900番教室というのがあった。

https://www.youtube.com/watch?v=5wLaND09VF8

そこで確か火曜2限に見田宗介先生は社会学を講じていらっしゃった。当時、僕には見田先生の凄さというのは分からず、ただ、クラスのシケ対が回してくれる「教官閻魔帳」のようなものを見て「何か出せば基本的に「秀」以上をくれるホトケの見田」というフレーズに惹かれて受講登録をした。9割がた僕のような学生だったから広大な900番教室はいつもがら空き、最前列に「信者」と呼ばれた社会学徒が陣取って深く頷く、その不思議な様子を、2階席の遠くから、眠い目で眺めていた。

*

僕は駒場に3年いた。2回生を2度やった。

いろんな事情があったのだけれども、祖母のアルツハイマーというのは僕に個人史を深く振り返らせてくれた。1923年に生まれた彼女はなぜ50年後に僕に血をつなぎ守ってくれたのか。それから16、7年しか会話もできずに、何一つしてあげられないまま、為す術もなく、僕は文学部などというところに進もうとしているのか。一世代前に、哲学を学び、(自称)社会変革を志したはずの父親は、なぜ病院と介護職に任せたきりで何かをしようとしないのか。甘んじている(ように見せる)のか。

僕は何学科に進むのか。進んで、それでどうしようというのか。

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91年入学。93年は20歳だった。

みなさんご存じないと思うけれど東大生がその生涯でだれしも一度だけ掴むハーレムというのがある。それは、合格発表の掲示板から、教務課だか学生課だかの入学手続き書類をもらって、次の手続きに進む、その間に、サークル勧誘の30ないし50メートルくらいの並びがある。そこで年上のお姉さんたちに四肢を鷲掴みにされるのだ。

頭が良くてモテるってないの?

「坊や、基本的にそれは幻想だ」「基本的に?」「東大の合格掲示板から諸手続きまでの50m。女子大生に四肢をもみくちゃにされる。それで一生分おしまいさ」「気持ちよかったですか?」「ああ。最高だった」

2017/10/23 10:42

b.hatena.ne.jp

そりゃあモテたさ(でかいし)。

けれど、酒池肉林もいつかは飽きる。というか、その、触りだけで飽きる。お触りではない。濫觴という意味だ。ふん。

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そんなことよりも切実な問題が俺にはあった。鶴嘴がなかったのだ。

振り下ろし方を教えてくれる人もいなかった。仕方がないので手当たり次第に本を読んだ。何かきっと正しくないやり方で僕は世界に感光してしまったのだと思う。多くのことが、納得がいかなかった。俺は何のために生まれて、大学に入ったのか。一角の人物にならないまでも、祖母の老いには間に合わなくとも、何か、生まれてきた爪痕のようなものを、世間の表皮に当てて、引いて、音を立て、足掻いてみたかった。

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見田先生の著作に、初めて鷲掴みにされたのは1993年、20のときだった。奥付に1993と僕の字で記してある。

本書は、主に1985-86年頃の朝日系(朝日歌壇、朝日新聞)の論壇時評に記された断章を編み直したものである。例えば、第二部冒頭には「現代の死と生と性:フェミニズムエコロジー」なとというのがあって、これは30年以上が過ぎたいまでもその射程効力を失っていない。他に、「石の降りそそぐ時:大衆社会共同幻想」「ガラス越しの握手:関係の客観性の磁場」など。表題はかように抽象的であるが、たとえば富岡多恵子、吉本/上野、ロス疑惑三浦和義)、芹沢俊介、姜信子、宗秋月村上春樹宮沢賢治竹田青嗣ら、好き嫌いはあろうけれど、それらを参照しつつ、ある種の80年台半ばの断章という気がするてんこ盛りである。

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そして本書を繰り返し読むと気付かされることが1つある。

それは見田が水俣病あるいは石牟礼道子によってもたらされる生の荘厳の方角に、本書を編み直すことで向かうことに気付かされたのではないかということだ。

「例えばからだがね、いろんな病んでる身体だの、そこから脱出して来る身体だのいろいろあるけど、そこにからだが荘厳されて来ていると。」そういうふうに、演ずるものの身体が舞台の上で、生活するものの生が舞台の外で、「花咲けば、荘厳されればいいじゃないかと。」

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日本の仏教界で日常的には、このことばは「仏」=死者を花飾ることに使われるという。熊本の寺の一隅を仕事場としている石牟礼が、この用法をしらないはずはない。と、すると、これは相当、ものすごいことになってくる。石牟礼はどこかで<人間>を、もう死んだものとして感覚している。あるいは、いつ死んでもおかしくないものとして感覚している。その人間の死にぎわに添おうとしている。人間を荘厳しようとしているのである。

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「人間の上を流れる時間のことも、地質学の時間のようにいつかは眺められる日が、くるのだろうか。」このように書き出されている文章のなかに、<人間はなお荘厳である>、という視覚は、おかれる。

上掲書P.214-215

「世界を荘厳する思想」と題する、本書28番目、終章は、この表白と定置のあたりを1つのクライマックスとする。もう少し続くのだが、それは後ほど引用したい。

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黄金頭さんが、水俣のことを記していらっしゃる。

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私はこの断章がたまらなく好きで、それは黄金頭さんの倫理の骨子を感じさせてくれるからだ。彼は次のように話す。

●ところで、俺の母方の祖父はチッソの社員だった。祖父から母への経済的援助など考えるに、俺も水俣病の犠牲の上に生まれ育ってきたといっていい。それで水俣病の被害者に憎悪されるならば仕方ないし、殺されるなら殺されるか。

●たれかの個人的な憎悪やそこから生じる愚行をも否定せず、また彼とおなじ境遇にあってそうしない人も否定してはならない。

そして田村隆一を引く。俺以外で水俣田村隆一をその感覚において並べる書き手を見たことがない。

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持ち主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない

材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!

沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい

田村隆一「新年の手紙(その一)」

「きみ」は、倫理の立ち上る場所から、沖に向かって歩いて行こうとする。手紙を書こうとする。このような倫理的な骨格を携えた文学作品、すなわち「わいせつ石こうの村」が、近現代文学史に残らないはずがない。数々の手紙「さて、帰るか」が、読み手を読むごとに楽しませ、笑わせ、勇気づけないはずがない。

*

見田先生は、石牟礼道子を引いて上掲書を次のようにして、締める。

ひとりの死者をほんとうに荘厳するとは、どういうことだろう。その死身の外面に花を飾ることではなく、その生きた人の咲かせた花に、花々の命の色に、内側から光をあてる、認識である。それは石牟礼が、その作品で、具体的に水俣の死者のひとりひとりを荘厳してきたやり方である。

(中略)

<夢よりも深い覚醒>に至る、それはひとつの明晰である。

上掲書P.216-217

見田宗介先生。ウィキペディアから引用する。

見田宗介 - Wikipedia

小学生の頃からヘーゲルの『論理学』を愛読するなど早熟な少年時代を過ごした。しかし6歳で母と死別、また戦時中に日大でドイツ語を教えていた父がナチス批判により一時投獄され、戦後も失業が続くなど、幼少期は貧困のうちに過ごした。(中略)憲兵大尉の甘粕正彦は父の従兄。

甘粕正彦のとった行い(甘粕事件)は、彼の人格や思想の形成に大きな影を落としただろう。しかしその当否を論じるのはここでの目的ではない。

人が、若いころに、その思想の骨子や原風景というものを手にしようとしたときに、個人史や家庭の成り立ちにまで遡って立ち止まってみようという誠実さを示すことがある。きっと、あるのだろう。そしてそれを内なる倫理「たれかの個人的な憎悪やそこから生じる愚行をも否定せず、また彼とおなじ境遇にあってそうしない人も否定してはならない」として黙って噛み締め、病を背負いながら、海辺をずったらずったらと歩き、物語を、手紙を書き続けようとする人がいる。

*

どこに向かって?

<明晰のある優しさ>の方角へ。

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そんなわけで、旅のお供、冬至にあやかって、柚子酒をお送りした次第。ふっふっふ。

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新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

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 追伸:

そういえば昔、ちびまる子ちゃん見てて、オープニングの曲の上記フレーズを聞いた親父が「ある発明というものは人類全体の科学進歩の過程の中で必然的に生まれるものであって、エジソン個人が偉いわけではないのである」と怒り出したことがあったな。あれが唯物史観とかいうのだろうか。違うかもしれないが。

わいの親父かw

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