illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

スナックの隣の神社までの旅(575)

風邪を理由に会社を休んだので大変に気分がいい。しからば営業部長は夜の開拓に出ねばならないのである。つらい。

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2001年4月25日の明け方に母親を見送った話は、前に記した。のでもう話さない。

dk4130523.hatenablog.com

それから15年後の2016年4月25日に、ある男の子が生を受ける。

そこには科学も因果も相関もない。しかし機縁を感じる(ここ点々打って)ことはできるだろう。勝手な思い込み? それは違う。

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はる君、イケメンでがんばりやさんやねんな。

わいも未熟児やった。5月20日に生まれる予定のところ早う世界が見てみたいと3月の末ににょきにょき生えてきた。44cm、2,000g足らず。未熟児で、保育器に入り、だからわいは根っこのところで母ちゃん成分が足りないねん。ときおりブログで感受性が荒れた様(さま)を晒すのはそのせいもあるのや。

幼稚園、大変やったんやで。まる一年違うのやから。4月に5歳を迎えた子と3月末に4歳になった子とでは体格もしゃべる言葉もまるで違う。わいがどんな局面でも泣きながらドロップキックを打つことを覚えたのはそのときや。

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わいは大人になってもうひとつ覚えたことがある。星の王子さまがゆうとるこれや。

――さよなら。
と、王子は言いました。
――さよなら。
と、キツネも言って、こうつづけました。
――ぼくの秘密を教えてあげるよ。とても簡単なことさ。心で見ないと、なにも見えない。いちばん大事なことは、目には見えない。
――いちばん大事なことは、目には見えない。
王子は、忘れないように、くりかえしました。

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洋の東西、きつねはお別れのときに初めて、一番大切な人に一番大切なことをいう。徳永英明ちゃうねんで。

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しかし、それにしてもきつねさんたちがそのような振る舞いを見せるのはなぜだろうか。

言葉は必ず「遅れる」性質をもつ。星は数万年の彼方にあり、言葉が星の光となり光が放たれてから数万年の時を経てはじめてこちらに届く。どんな言葉だってそうだ。

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しかしここにひとつ大きな逆説がある。自分にとっては遅れてきた言葉であっても、それをいま新たに読む誰かには光になっているかも知れないということだ。

そしてその光を、生まれたての、新たな命に届けようとする意志を、私たちはたぶん、失ってはならない。遅れた言葉には、手垢がつくことがないから、新しい生命に届けるには恰好の形をしている。

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私が「はる君がんばって」という鮮度の落ちやすい言葉を発する代わりに、彼が二十歳になったときのことを思い、夜な夜なキャバクラを開拓するのは、そのような理由があってのことである。んなわけあるか。

わいのくーちゃんは「やさしいきもちさん」なのである。わいではない。

ちなみに、以上のような筆法を私はあぐりさんの倅から教わった。わるいのはヨシユキであり私ではないのである。

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(はる君、このあいだ、よよん君が請け負ってくれたから、きっと大丈夫。もうちょいやで。)