少し口直しに。大人の恋の話でも。
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文屋康秀が三河掾(じょう。律令制の4官「かみ/すけ/じょう/さかん」の下から2つめ。係長待遇)を命じられて(865頃。35歳くらいだろうか)その出立の前にかつての恋人、小野小町に手紙を贈る。
このたびの三河の任地の下見に(私と共に)行くわけにはまいりませんか。
- え~じ、で禁止、不可能の意味。わが意ではどうにもならない含み。これに疑問係助詞「や」が加わる。「さすがにどうにもなりませんか」。言ひやる、は書いてよこす。
返事によめる
その返しに、かつて恋人の間柄だったとされる小野小町が詠った。
わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ
- わぶ:困り果てる
- ぬ:持続態。すっかり~し切る
- れば:~なので
- うき草:浮きと憂き(世)の掛詞
- あらば:あるのなら(ば)
- いなむ:ナ行変格活用動詞「往ぬ」未然形+意志助動詞「む」終止形。行ってしまいましょう。
すっかり落ちぶれて、どのみち浮き世、根なしの暮らしでございますから、貴方がお誘いの水を向けてくださるのでしたら、この憂き草を断ち切って、ついていきたい気持ちです。
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吹くからに秋の草木のしおるればむべ山風を嵐といふらむ
訳さないよ。
むなぎ→うなぎ。mの欠落は他にもあり、宜(むべ。なるほどそれで)→うべなう(肯。諾。なるほどそれならOK)など。吹くからに秋の草木のしおるればむべ山風を嵐といふらむ(文屋康秀)。観念で詠んだと評判のよくないこの歌、しかし康秀は小野小町の恋人とも噂さる。ふたりの相聞は後ほど記事に。
— nekohanahime (@nekohanahime) 2017年7月24日
正直、口触りはいいが、見るべきところの少ない歌だ。なぜこれが撰ばれたのかと俺は訝しむ。生涯、下級役人だったからか。紀貫之が手厳しい。
『古今和歌集』仮名序「詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば商人のよき衣着たらんがごとし」
技術は見るべきところがあるが中身がついてきていない(身におふ=負う。内実を伴う)。まるで商売人が上辺だけ、いい着物を着ているようだ。
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そうかもしれないね。小野小町を絶賛した貫之がいうのだからそうなのだろう。さすがに悪い例として「むべ山風を」を撰ぶとは俺には思えないんだけどね。でもちょっと意地の悪さが感じられる。
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そう、俺はそのこと(文屋評)がいいたいわけじゃないんだ。むしろ彼の名誉のために筆を執った。
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彼は小町に戯れを装って「一緒に行きませんか。来てくれませんか」と投げかける。無論、答えは決まっている。ふたりとも、わかってる。だが、文屋の野郎は、万が一、小町が来るといったら迎える用意があったのではなかろうか。
うだつの上がらない下級官僚だ。実際、生涯そうだった。それでも、三河まで落ち延びれば、さすがに京の口さがない連中の声や耳は届くまい。いまなら、その暮らしを、用意してやれる。
だが、しかし。相手は色衰えたりとはいえど小野小町。むかし付き合えたのが奇跡というもの。いま改めて敵う相手じゃない。どうする。
案の定、小町のほうが一枚も二枚も上手だった。もう、訳さないからね。
「(もう、貴方と付き合っていたころの私じゃないの。その気になってしまうじゃない)お世辞でも、気にかけてくれて。どうぞ、お元気で」
翻って、康秀、言いよこしたとされる歌の残っていないのが惜しまれる、しかし、
「もう、遅いかもしれない。それでも(貴方のことが好きでした)」
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くち直しおとなのこひのはなし也。どっかに、ないのかね。こういうの。ああいうのじゃなくて。プンスカ
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追伸:忘れていた。申し訳ござらん。
小野さんが、
あの時手を伸ばしていたら、何かが変わったんだろうか?と時折考える。
優しさに、相当胸がときめいた。
と、書いていらっしゃったのに、思わず触発されたのでございました。
つまり小町まで一本道なのでございます。