illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

あれはたしか七夕(旧暦)のころ

97年だったか。

2回めの大学2年のとき(93)から付き合っていた女性と別れることになった。

池袋のメトロポリタンの前で待ち合わせをして俺の手が冷たいとみるとマフラーをかけてくれ、それでも冷たいのを見てとると真顔で困った顔をしてくれる子だった。俺はそのころから役に立たない男だったから、小咄をしたり「ごんぎつね」の話をしたりするので精一杯だった。

周りは結婚すると思っていただろう。

そうならなかったのは俺に別の好きな人が出来たためである。「物書きになりたい」なんていってるのと付き合っていても幸せになれない。「本当はそうじゃないでしょう?」

*

思い出したことがある。

当時はポケベルというのがあって、それでよく待ち合わせをした。ふたりとも学生だったが、大学院に通いながら働きはじめていた俺にはそこそこの稼ぎがあったので、俺の名義で契約をして渡した。

ポケットベルのイラスト

ポケットベルのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

あるとき些細なことで喧嘩をし、火種は拡大して収まるところを知らず、彼女は別れを覚悟したらしい。俺は仲直りを切り出そうと思ってポケベルにメッセージを送る。届いたつもりでいるからメトロポリタンに向かった。待てども来ない。公衆電話から彼女の和光市の自宅にかけると出て、いった。「電池を減らしたらもったいないから」「ちょうど、ぜんぶ小物を箱にきれいに入れ終わったところだったの」「きれいに出来たのよ。いまから持っていくから見て」

俺は頭を下げた。かように、すべての戦は俺の負け戦だった。

彼女、Mちゃんは、その後、メガバンク勤務の俺の知人の知人と結婚して、いまはジャカルタに暮らしていると聞いている。

*

それでも、だめなものはだめで、俺は1週間ほど実家に帰った。

旧暦の、七夕のころだった。

言い尽くせないことを手紙にしたためた。夜中、2階の自室で書いていると気分がくさくさしてくる。それで居間に下りてテーブルに便箋を広げて書いていた。

そのまま疲れて寝入ってしまったらしい。

朝起きると、俺の肩にはブランケットがかけてあった。書きものがきれいに寄せてあって、お茶と、お茶請けが添えてあった。

起きた気配を感じたらしいお袋が、「いいのが採れたのよ」と、ハニーバンタムを持ってきた。ビニール袋で包んでレンチンして皿に乗せただけのものだが、その甘さがそのときの俺にはとてもありがたかった。申し遅れたが実家の庭には畑が続いていて、ハニーバンタムがひげを蓄える一角があった。そこから、もいできたらしかった。

とうもろこしのイラスト(野菜)

とうもろこしのイラスト(野菜) | かわいいフリー素材集 いらすとや

お袋はいったん台所に下がり、俺が食べ終わるころに皿を下げにきた。自分でやるから、と俺がいうと「いいのよ」。いやいやお袋どの――

「大人になったのね」そしてカーテンと戸を開けて、「いい娘だったものね。Mちゃん、私も好きだった」

*

4年後に、お袋が息を引き取る前の最後のことばが「いいのが採れたのよ」だった。モルヒネがずいぶん効いていた。

その解釈をめぐっては、家族や親類を含むいろんな人がいろんなことを話した。俺はそれらをだまって聞いていた。

俺のために話してくれた言葉だと思ったからではない。テーブルの上に広げていたはずの手紙のことは、お袋はいちども触れなかった。

だまっていたのは、朝、俺よりも早起きをして畑に出て、トウモロコシをもいできたときのお袋の気持ちというのは、ちょっと、俺には想像がつかなかったからである。