ご返事が、少し遅くなりました。このエントリーは、主に季雲納言さん(id:kikumonagon)に向けて書かれています。
ドラえもんの長編映画はかなりの数に上ります。その中で僕がいちばん好きなのは「のび太の宇宙開拓史」。
リメイクじゃないほう(1981)ね。
のび太の部屋の畳の下が、異空間とつながります。例によっていろいろあるんだけど、要はあちら側の世界の諸問題を解決するお手伝い。と、片付けてしまっては申し訳ないので、よろしければみてほしい。
あちらの星の事情は、とりわけガンマンのび太の活躍によって、うまく収まっていく。のだけれど、一方で、そうこうしているうちに、異空間との結びつきが次第に弱まっていく、はじめのうちは、畳を返してそのまま飛び込めば行き来が出来たのが、やがてタケコプターを使わないと渡れないようになる。
「のび太くん、お世話になったね。ありがとう。君のことは忘れないよ。さようなら」
異空間との接続がとだえる前に、ロップル君とチャミーはそう手を握って、それからのび太とドラえもんに手を振る。おれ(7)、だだ泣き。
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当時7歳(8歳になる直前)だったおれは、家に帰って、ロップル君とチャーミーに「いま、どうしていますか。ロップルくんとチャーミーには、のび太くんとドラえもんのことを、ずっとわすれないでいてほしいです」という手紙を書いた。親が東宝に送ってくれたら、後日、ポスターと、エンディングテーマを作詞した武田鉄矢(歌は岩淵まこと)のブロマイドが入った封書が届いた。
おれは何でそんなものが届くのかわけがわからなかった。おれがほしかったのは「お手紙は、大山のぶ代さんと藤子不二雄先生が、ひみつ道具を使って、ロップル君とチャーミーにちゃんと届けてくれました」という、そのひとことだったのに。
なぜものを書くのか。だれに読んでほしいのか。書き手は何を求めるのかというテーマが頭をよぎるたびに、このトラウマがおれの心をよぎる。被弾した金八には申し訳ないのだが、おれは以来、武田鉄矢がにがてだ。
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ロップル君のことが頭に引っかかって忘れられないおれは、後日、親にいって映画の解説ムック本(で、いいのかな)を買ってもらった。おれはなんどもなんども、のび太とドラえもんがロップル君やチャーミーたちとなかよく星で過ごしているシーンを読み返し、そこで手を止め、閉じた。おしまいのお別れのシーンはつらいのでほとんどめくらなかった。
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時は無為のまま流れた。
しかし、おれはいまでも、大人になったロップル君とチャーミーが、遠い星のどこかでその星の平和を守り、幸せにすごし、そろそろ子や孫にめぐまれて、その執務室のデスクの上には、のび太とドラえもんの色あせた写真が飾ってあると、夢想することがある。たぶん飾ってあるだろう。
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この話、ほんとは、近代読者の成立(前田愛)とか、いろいろ引こうと思ったんだ。書きかけた。でもそんなのつまらないからね。遅くなった理由は、それです。
あ、前田愛(女優さんと同じ名前をした国文の重鎮おっさん。師匠筋からのまた聞きだけれど、柔和な方だったそうだ)は、おもしろいよ。
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武田鉄矢と岩淵まことの名誉のために。
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近年では歌のうまさ以外が話題になることの多い小林幸子のために。
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このテーマは、またいずれ書きます。だめだなあ、おれ(笑)。