今週のお題「恋バナ」
俺にだって、辞書ではなく、暮らしの中で覚えたことばというのが1つや2つある。まあ、身に染みたという意味では、1つかな。
水入らずである。
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高校生のとき(1989-90頃)だったと思う。
土曜か、日曜かに、お袋が買い物に出かけようとしていた。
俺は和室で、ばあさんとこたつで温まっている。じいさんは、買い物ついでに病院に連れていかれるので、一足先に車に乗っている。俺は、みかんや、煎餅や、お茶や、それから英単語集を用意して、肩をたたいてやる準備をする。家にはほかに誰もいない。ばあさんの様子を見守る全権を預かる。なんとも、いいものである。
と、お袋が障子をあけて、俺とばあさんの様子を見るなり、冷静な口調で、
「今日は、水入らずね」
といった。
その、なんともいえず、女の情念というものをだな、わがお袋よ、息子に投げつけるかね、しかし。俺は背筋が凍ったよ。ばあさんはにこにこしていたけれども。
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お袋は、どちらかといえば、親子の直接対決の、憎まれ役のほうを買って出た。何かにつけて甘い俺のことは、誰かが釘を刺さなければいけない。お袋は戦後まもなくの生まれで、俺たちの生まれ育った町(昭和29年に村から市に編入されて町に繰り上がった)では、50年にひとりの秀才といわれた。もちろんその記録を塗り替えたのは俺である。100年にいちどといわれた。ふわっはっは。
甘やかすのは、ばあさん。父親は婿養子なので、ばあさんすなわち義母ではなく生みの親である。
対して、律するのは、自分。
そう、一途に、思いなしていたところがある。
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とまあ、こう自他ともに甘くなりがちな俺に、お袋は厳しかった。お習字の先生なんだ。お茶も、お花もできる。着付けも習っていた。共通するのは、何より、形が、形を受け継がせることが大切な世界でね。言葉遣い。抑揚。姿勢。箸の持ち方。鋏の遣い方。筆順。畳の目。
50と少しで亡くなったのだけれど、ほんとに、最晩年。柔らかくなったのは。樋口一葉が好きでね。病床では、最後まで、「たけくらべ」と百人一首を諳んじて、手持ちの和紙に書いて、心持ちの落ち着くところを求めていた。
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俺に、肩をたたかせることが好きだった。
いっちゃあ何だが、俺は肩たたきだけはうまい。子宮に響くんだ。うそじゃないぜ。お袋がそういうんだ。誰に習ったのでもない。ばあさんと、お袋の肩をたたき、習っていたピアノの運指をアレンジして、こう、リズミカルに、だな。
「あなたは、これだけは才能がある」
そしてこう続けるのだ。
「思い上がっては、だめよ」
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亡くなる3日前に、ふたりとも、わかっていた。俺は病床を後にするときに「お袋、またな」といったのだが、お袋は「ありがとうね」と、細くなった指でしきりに繰り返していた。
前にも、さわりだけ、書いたことがあるな。
まあ、息子との最後になるであろう会話で、欠点と悪事を時系列で列挙する母親というのはいかがなものかと思う。記憶力は抜群で、話はよれるが、お袋の若いころの写真というのは息子の俺がいうのもなんだが、美人で、どれも暗い目をしていてね。長い間不思議に思っていたんだが、忘れなかったんだと思う。いろんな、悲喜こもごもを。
で、散々注意を受けたあとで、ふと、思い出したように、水入らずの話。
「あのときは、よかったわね」
「あのとき?」
「わたしが、買い物に出るので、おばあちゃんのお守りをあなたに託したときよ」
「ああ。はい」
「おばあちゃん、もう惚けちゃってたけど、うれしそうな顔をしていた」
「うん」
「ありがとうね」
*
彼女の知性が、感性が、戦後の社会の中で何を支えようとして戦っていたのか、ふと、いま思うことがある。「もっと、こう、ぎゅうっと、抱きしめてあげればよかったと思うことがあるわ。ごめんね」
あるとき、何のときだったかな、珍しく、母性を感じさせることを口にした。
不肖の息子は、いま逆の感想を持つ。実はお袋とも、同じ戦線を張った、長いこと水入らずの関係だったのではないかと。