話は続く。
数年後、石田が帰国した。志ん生は家捜しに走り、毛布などを石田の家に持って行った。
それでも気のすまない志ん生は石田宛てに手紙を認(したた)めた。
「どんなことがあっても、出来るだけのことはさせてもらいますから」
石田は返信した。
「内地に引き揚げてから、あなたには大へんなお世話になりました。どうやってそのご恩返しをしたらよいかと思っているくらいです」
志ん生は石田の言葉に胸をつまらせた。
志ん生が内地に戻り、平穏無事な世界で石田にしたことと、満州国が瓦解した中国大連で、日本人は誰も命の瀬戸際にいたとき、石田が志ん生にかけてくれた情け、その恩の重さを、志ん生は「くらべもんにはなりません。月とスッポンほどのちがいですからね」と言った。
二人の美しい交流は生涯続いた。
川村真二「その恩の重さは、月とスッポンほどの違いがある」(日経ビジネス人文庫『働く意味 生きる意味』P.49
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こんなにいい話が、何で「働く意味 生きる意味」になるのか、とんとわからねえ。
ついでにいえば、俺は、自分でも、理由(わけ)はよくわからねえんだが、石田紋次郎さんの墓前に花を捧げて差し上げたい。志ん生のほうは構わねえんだ。中尾彬が何とかしてくれるさ。
紋次郎さんのひ孫さんが、おそらく生きていらっしゃるだろう。何とか伝手をたどって、面影を探ってみたい。