落語の「まめだ」、好きなんです。
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「まめだ」って何から入らないといけない?(談志師匠)やりにくいんだよなあ。これが文七元結だとか、例の歌丸師匠の得意である火炎太鼓とかなら入りやすいんだがね。三木助の、あ、俺のでもある芝浜にまでなると、自分でいっておきながら嫌味でね(談志)。
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他愛もない話です。三田純一のいわゆる新作落語で、上方の桂米朝師匠が、おそらく愛していらっしゃった噺です。三田純一とは、云々、やりにくいなあおい(談志)。
まあ、通りすがりの狸が、人間にいたずらを仕掛けて、逆に懲らしめられて傷を負って、その傷を治すのに何かいい薬はないかってえんで、たまたまね(金玉じゃねえぞ…俺はこういうことをいうからダメなんだね)、その懲らしめた人間が薬屋で(落語のこの辺の安直さがいけねえという俺は了見だ)。
(茶をすする)
狸は治りたい一心で薬屋に通って、貝の膏薬を買う。狸だから金がねえてえんでそこは銀杏の葉を金子に化かしてごにょごにょとうまくやるわけだ。貝の膏薬をせしめる。しかしだ。畜生の悲しいところはここで、せっかくの膏薬の使い方を誤る。つまりだね、中の身を取り出して傷口に乗せなきゃいけねえんだが、あいつら阿呆だから殻付きのまま乗せちまう。それじゃあ効かねえてんで、死んじゃうんだ。
米朝師匠てのは立派なお人だと俺は思うね。上方随一。ま、その辺の呼吸は聞いてくれりゃあ、ここに来てくださる奇特なお客さんならわかってくださるだろうてなもんで。
(茶をすする)
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まめだ、他愛もない話です。米朝師匠は、この、何か愛着あるいは憐憫を感じたのでしょうね。あっさり行き倒れにしてしまうサゲもあり得た。そこを、丁寧に弔うんです。境内で、銀杏の葉が、こう、さあっと舞い散って、まめだを包んでやるんです。その阿吽は、どうか聞いておくんなはれ。
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ときに、ティム・バートンの「コープス・ブライド」はご存知ですか。
「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」よりも、俺はこっちのほうが好みです。
それは、この話は竹取物語と、シェイクスピアの合作だからです。合作というのはもちろん嘘で。ティム・バートンはシェイクスピアを読んでるでしょうが、竹取はねえ。何なら俺が話してやってもいい(談志)。
物語のラスト、コープス・ブライド(エミリー)は、死者の国に帰ります。そのとき、エミリーの身体が無数の蝶と化して、月に帰っていく。
あ、これは「まめだ」だと、いつ見ても俺は思ってしまいます。号泣です。
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おあとがよろしくありませんな。これだからライブじゃなきゃダメなんだ。まあ、仕方のねえところかも知れませんな。おあとがよろしいようで。
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- 「日米『散華』の比較~『まめだ』と『コープス・ブライド』を題材に」
どこかその辺のちゃらちゃらした文学部か修士で誰かおねえちゃんが論文書かないかね。俺が書いてやる。代わりに一発…