2014年の12月下旬、はなちゃんがシェルターでちょうど満1歳を迎えたころ、俺は味噌を仕込んだのだった。
忘れていた記事に id:shirotofarm さんがスターをくださった。それで思い出した。そう書くと何か忘れていたようで不届きなようだが、違う。
百姓の本義は放置にある。ほんとだよ。丹精を込めるべきところは込めるんだ。でも、普段の生活では、ぼんやりと覚えている程度で、日々の移り変わりに流していく。めりとはり。
丹精を仕込み、流すことを熟成と、いまのことばではいうのかな。
苗木、野菜、盆栽、みそ、お米、果樹…みんな一緒と、少なくとも、俺は子供のころにそう習った。
いい子に育ってねって、お願いして、おばあちゃんはちょっとお手伝いをするだけ。それだけなのに、こんなに大きく実って。不思議でしょう。
うちのばあさんはよくそういっていた。だから俺は百姓が育てるものというのは放っておいても自然にそうなるのだとずいぶん長いこと勘違いをしていた。そんなことあるわけないので、子供には見えない、毎朝3時半に起きてお世話をする人がちゃんといたのである。
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味噌がだいぶ練れてきた。
開封の儀である。
地下水脈から浮かんできているのは「たまり」だ。
捨てちゃだめです。
れんげで掬い、ひとなめする。うまい。たまりの周辺のお味噌さんをこそげとってたまりと混ぜて口に含む。うまい。俺に百姓のDNAが流れていてよかった。
さて、ほんとうは芋焼酎をいきたいのだがまだ朝であり、俺は痛風の発作のために30時間前に救急車のお世話になったのであり、まあ、焼酎はビールよりもなんぼか「まし」であり、これは石垣請福のラベルが張ってあるが用途は料理酒であるから味醂のようなものであるからして…うまい。
たまりをブレンドした味噌を口に含み、オンザロックの請福をひとくち。
いかんいかん。
閉封の儀。
先生方には再び眠りについてもらわなければならない。カビのないことを確かめ、混ぜ混ぜし、ぴったり密封し、ブロックを乗せて、ふたをする。
ちなみに仕込みの時期と具合を微妙に変えた3樽あって、今回はそのうち2樽を開けてみた。より熟成の進んだ左側(約1年半)と、まだだいぶ粗さの残る右側(約8か月)(右側はまだ豆が残っていたり、塩がわずかにしゃりしゃりしたりする)。それぞれに、うまい。
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素人仕込みでこれだけできるのだから、少し心得のある人なら、もっとおいしくできるのではないかと思う。ここまで書いて、「たまり」をもうひとなめしたくなってきた。