illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ねこちゃんシェルター(カフェにあらず)

トピック「今年見に行ってよかったもの」について

ねこちゃんシェルター。カフェではござらぬ。

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江東区にある「猫のための小さなお家」さんで、僕ははなちゃんに出会った。里親募集サイト「ネコジルシ」に掲載されていたはなちゃんが、僕に魔法をかけてくれた。そこでさっそく応募のメールを出し、日程調整をして、はなちゃんに会いに行った。今年の頭、1月20日過ぎのことだ。

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かわいい。たまらぬ。足長でモデル体型で美人で臆病で容易に心を開かない。完璧である。「はなちゃんが心を許してくれるまで根気強く待ってくれる方に託したい」イエス・イッツ・ミー。

しかし僕を待ち受けていたはなちゃんは少し様子が違っていた。

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いやあもうびっくり。言葉はわるいが戦争孤児ではないか。

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脱走兵。アクション映画の女スパイかきみは。

もうびっくりした。けれどはなちゃんの威嚇は本気でまがいもののかけらもなく、きれいな瞳と顔立ちは面会に訪れた下僕候補(41)の心をほとんど一瞬で射抜いた。

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外暮らしのねこちゃんの平均寿命は3~4歳という。人間換算で35歳。弥生時代のそれだ。対して完全室内で人間のお世話係のいる猫ちゃんは10数歳。人間換算で70歳くらい。長生きすれば20歳。俺は面会時41。定年までなんとかするくらいの才覚はある。

それから俺は都合2度か3度はなちゃんとの顔合わせにシェルターを訪れた。

そのたびに下僕ははなちゃんに厳しく試された(姫さまなので当然である。だいたいはなちゃんのようなかわいいねこちゃんに外暮らしを強いて平気な顔をしている日本の近代化に俺はいいたいことが山ほどある。はなちゃんの怒りは痛いほどわかる。外では、生まれたときから戦うほかにないのだ)。

さりとて、動き出した気持ちは止めようがない。引っ越しの段取りを立て、ねこちゃんグッズをひととおり買い揃え(そう、俺ははなちゃんのためにロフト付き物件に引っ越した。ねこちゃんには上下運動が欠かせないと聞いたからである)、ミスチルと、渡辺美里と、アルフィーと、80年代から90年代にかけて俺たちの脳裏をかすめていった決意と抱擁の歌詞の数々を思い出し、都営新宿線大島駅からシェルターまでの道のりを「夜明けのMew」を口ずさみながら歩く。

そうるすことによって、秋元康を効果的にののしり、はなちゃんが今日は少しは下僕のことを覚えてくれただろうかと期待と緊張に胸を震わせる自分自身を落ち着け、会った後には落胆し、しかし決して媚びないはなちゃんのことをもっと好きになっていった。

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恋をしたのだと思う。忘れていた感情に火がついた。そして、馬鹿じゃないかと、こんなものをなぜ漱石門下の才人が書くのかと鼻で笑っていた内田百閒の「ノラやノラや」は、俺の中で名作としての地位を不動のものにした。

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はなちゃんがやってきてくれてからの11ヶ月弱の暮らしについては、よろしければ俺の今年の記事を眺めてほしい。ことし1年はほとんどねこちゃんのことしか考えていない。じっさい、つい先日、はなちゃんとくーちゃん(6月にはご縁のあった別の保護主さんから、くるみちゃんにも来てもらった)と、2015年の流行語大賞の審議を行ったのだが、わが家の上位は、

  1. はなちゃん
  2. くーちゃん
  3. 下僕ちゃん
  4. ホマレ姉さんの野菜

であった。

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教訓めいたことを書くのは好みではない。太宰のいうように、人はどんなに偉そうなことを口にしても、そのよそから見たら醜態きわまりない行いによってしか量ることはできない。とはいえ他所様を道連れにして入水する行いは決してほめられたものではない。代わりに、俺は長生きをすることにした。

具体的には、読書と想念の世界を諦め、ねこちゃんたちのなすがままに毎朝4時45分に目を覚まし、お世話をし、早く帰りたいがために仕事を猛烈に片付け、出世を厭わず、しかし20時には帰宅してくるみちゃんに至らないお世話の許しを請う、資本主義修道士(マックス・ヴェーバー)のような生活を続けている。体調も気分もすっかりよくなった。

たまの休日にはシェルターに足を運び、はなちゃんの元の同僚や後輩たちをなでなでしている。よくいえば個性派揃い、ありていにいえば癖のある、人間中心社会から弾かれ、シェルターさんの個人的な熱意によって幸運にも掬い上げられた20数名の焼け跡派たちが、それでも人間を信じたいと、甘えてみたいと、ごく当たり前のことを思って待っている。

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シェルターを卒業したはなちゃんはその後どんな表情を見せるようになったか。エビデンスがなければ諸君は信じないだろう。示そう。

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こんなふうに、たまに、くつろいだ仕種を見せてくれる。かわいい。

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くるみちゃんを下僕から守ろうとさえする。かわいい。

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相変わらず、はなちゃんには指一本ふれたことはない。それでも、小島信夫が「馬」で、そして庄野潤三が「静物」で描いた(半ばコミュニケーションの成り立たない)妻から何らかの啓示を受け取るように、俺ははなちゃんとくるみちゃんの20年を守ることが自分に与えられた使命ではないかと最近は感じることがある。かわいいのだから仕方あるまい。

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そんな大げさな、と笑う人がいるかもしれぬ。しかしねこは1個の思想なのである。平日の昼に通う日本橋の小料理屋の女将にこの話をしたら「ねこちゃんはただかわいいだけで、ことばが通じないからかえっていいのよね」「人間の女はほら、いつもひとこと余計だから」と返してくれた。御意。身の詰まった香り高い鰊の塩焼きと、あっさり風味のさばの味噌煮と、粒の立った白米を出してくれる稀有なお店だ。場所は内緒にしておく。

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まだ絶対数は少ない。とはいえ、探せば意外と身近なところに多くの民間シェルターがある。ねこカフェよりも辛口の味わいがお好みの諸兄に、こっそりおすすめしておく。

(追伸)

(ふだんはきっと控えめで思慮深い)しいたけアイコンの人さんが締めでメッセージを残している。たぶん書いているうちに意思が固まったのだろう。俺も倣いたい。

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はなちゃんには俺の前に応募が数件あった。「かわいいけど懐かない」という理由で縁談は流れたと聞く。シェルターさんははなちゃんが僕のところに落ち着いた頃合いを見計らって次のように話してくれた。「そのねこちゃんと暮らしたいと思う気持ちが何より大切なんです」「生涯ねこちゃんに触れずに終わる里親さんもたくさんいます。大丈夫ですよ」

思えば、バツ1四十路単身会社勤めのおっさんに大変に親身で真摯な面接をして下さった。以来、俺の頭の中では大丈夫とは何かというテーマがふわふわと飛び交っている。はなちゃんを迎え入れることができたのは、幸運だった。