illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ごんと兵十のものがたり

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

手にしたすべての本から何らかの影響を受けてきたけれど、その中からどれか1冊を選べといわれたら、ほとんど迷わずに、これ。

ごんぎつね (日本の童話名作選)

ごんぎつね (日本の童話名作選)

 

それも、黒井健さんの挿絵でなきゃいやだ。

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平たくいえば、僕はごんのことを誤って撃ってしまった兵十の、残りの人生を頭の片隅で絶えず考えている。母親をなくし、同じ境遇におかれたひとりぼっちのごんと、分かり合うことのできたほんのわずかな時間から、不幸な事故によって取り残されてしまった彼が、その後、どんな生涯を送ったのか、僕は知りたい。そして、いつの日かテクノロジーが進化したら、江戸時代、幕末の村はずれに飛んで、兵十の被告側弁護人を務めるのだ。

頭のもう一方の片隅では、ごんが、撃たれずに済む道筋というものがあったのなら、その道を、いそいそと栗をくわえて土間にやってくる彼に「そっちじゃないよ」と、教えてあげたい。そうすれば、律儀な彼はきっと、お礼に、いまでは手に入れることのできない自然の恵みを、おいしい栗や松茸や、いわしやうなぎをくれるかもしれない。土間に栗をかためて置くことのできるきつねを、僕はごん以外に知らない。かわいい。

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古典を除く、学校教科書に掲載された文学作品は(もちろん論説文も。韻文も散文も)ほとんどすべてが屑だ。イデオロギーと、私小説的感傷と、規範を失ったいい加減な言葉遣いと、いわずもがなの指導的言説に満ちている。頼りになるのは漢字の筆順と、文法と、若干の文学史的知識くらいなものである。あんなものを、年端の行かない子供によく食べさせるものだと、振り返って、つくづく思う。だが、「ごんぎつね」は違う。小学校低学年のうちに読むことができて、よかった。子供のうちに種を埋め込まれて、大人になって読み返す機会があって、それが黒井健さんの挿絵で、ほんとうによかった。

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いま、書棚から取り出し、美しいごんの毛並みに見とれながら、物語のひとことひとことを諳んじて、そして窓辺のねこちゃんたちの静かなもふもふに目を転じてみて、そんなことを思った。それにしても「村の茂平というおじいさん」「中山のおとのさま」「おねんぶつ」「影法師」「秋祭」「白い着物」といった新美南吉の紡ぎ出すフレーズは、これでもかというくらいにひとつひとつが決まっている。

あらすじは知っているよという人にも、改めておすすめしたい。青空文庫のブラウザ横書きの鑑賞に耐える、数少ない本質的作品のひとつでもある。そっと置いておく。

手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)

手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)