今週のお題「思い出の先生」
僕は郊外から街中の学校に通ったので、小学校中学校とバス通学だった。小学校1年生。早生まれ。実感として、ランドセルのほうが背中よりも大きい。
家から学校までの途中、ランドセルが大人の混雑から背を伸ばして、住宅街を通過する。
6時58分のバスに乗ると、小学校の正門に7時32分に到着する。
その途中、7時11分ごろに、自転車で学校に向かう担任の先生を追い越すのが楽しみだった。
先生に手を振る。初めのうちは首をかしげていたけれど、僕だとわかってからは、それとなく合図を送ってくれるようになった。
7時11分に追い越しても、正門に着くのはだいたい同じ時刻だった。
僕のほうには、乗り換えと徒歩があったので、五分五分の勝負になる。
正門前で待ち合わせのようになって、サドルにランドセルを乗せてもらう。昇降口までのいちょう並木を、いろんな話をしながら歩いて行くのが、僕の朝の習慣になっていた。
昇降口で「じゃあ、またな」といって先生は職員用玄関に入っていく。僕はランドセルを背負い直し、教室に向かう。8時30分になって、朝の起立、礼。先生と僕だけの秘密が、挨拶をこそばゆい感じにさせた。
20年が過ぎた。
同級生の女の子の結婚式に呼ばれた。
もちろん先生も呼ばれていた。みんなが会うのを楽しみにしていた。
花嫁姿の同級生が、「実は」といって、小学校のころの思い出を話した。彼女は朝、中庭で先生を待って、教室の前まで一緒に歩くのを楽しみにしていたという。学校に行くのはいやで仕方がなかったけれど、先生に会ってお話をするために朝、家を出たのだといった。
「私も」「僕も」
7時32分の僕だけでなく、7時45分、55分、8時10分、20分…何人かが、思い出の時刻を大切にしながら大人になっていた。「先生ずるい」「だまされた」「やられた」「私だけの先生だと思っていたのに」
みんなの不満を受け止めたあと、先生は、いやあ、ばれちゃったか、と笑った。
朝、ちゃんと来られるかどうか心配な子、帰り、家まできちんとたどり着いてお迎えがあるか見てあげたい子、先生は目星をつけて自転車で順番に回っていた。
「だってなあ」と先生はいった。「小学校1年生は、何がいちばん大切かって、ちゃんと学校に来て、みんなと仲よくして、家に帰ること。それだけでいいんだよ。いまはみんなこんなに立派になったけど、先生はずいぶん心配したんだぞ」
みんな泣いていた。
音楽の先生。勉強を教えてもらった記憶はない。家庭訪問も、自転車で乗り付けて、庭の緑を眺めて、お茶を飲んで帰っていった。
みんなからは「じっちゃん」と呼ばれていた。それでも、年齢を逆算すると、当時42歳。いまの僕と同じだ。先日、オカリナの演奏会に呼ばれて聞きにいってきた。なんともいえない、見事な音色を奏でていらっしゃった。