呆れた。文学作品はネタにするものではない。
ネタにするには重すぎたころの芥川賞受賞作を並べる。概ね好きな順。
「月山」森敦(1973)
異世界の入り口。めまいがする。
「裸の王様」開高健(1957)
才人は若い頃から放つ光が違う。
「或る小倉日記伝」松本清張(1955)
才人はおっさんになってデビューしてからの光の持続力が違う。
「静物」庄野潤三(ほんとは「プールサイド小景」)(1954)
静かできれいな言葉がしとしとと胸に迫りくる。
「年の残り」丸谷才一(1968)
テクニシャンはすでに完成されたテクニシャンである。表題芸も手だれ。うますぎて順位を下げざるを得ない。
「岬」中上健次(1975)
息苦しい。濃い。荒削り。たまらない。
「驟雨」吉行淳之介(1954)
青いヨシユキ。昭和中期の話なのに若々しい。
「壁―S・カルマ氏の犯罪」安部公房(1951)
俺にはちょっと先進的すぎる。すごい寓話。
「水滴」目取真俊(1997)
沖縄好きなもので。すまない。でもそこそこ上手だと思う。
「川端康成へ」太宰治(1935)
川端にはわからない世界だってある。
スワローズの大杉勝男は現役引退を前にして「最後に、わがまま気ままなお願いですが、あと1本と迫っておりました両リーグ200号本塁打、この1本をファンの皆様の夢の中で打たして頂きますれば、これにすぐる喜びはございません」と述べた。了解。俺は太宰に芥川賞を贈ろう。数が合わない分は又吉なり宮本輝なりから取り上げればいい。
(追伸)どれか1作を選べといわれたら俺は「月山」と迷いに迷った挙句、松本清張「或る小倉日記伝」を挙げるだろう。四十路をすぎた松本が、生活苦の夏の夜中に汗水をたらしながらちゃぶ台で書いたとかいう話を聞いたことがある。開高サンには記念会会員になっていることをもって勘弁していただく。芥川賞は洒落や伊達では済まないものだったはずである。いまもなおそうだと強弁するつもりはないけれど。
(追々伸)笑いだの人間だのが知りたいのなら談志でも見ておけと俺の中の雲黒斎がうるさい。