illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

平安文学の系譜…のごく一部に関する考察

id:kikumonagonさんが菅原孝標女の更科日記について書いてくれるというので、ひょっとしてあの箇所と思ったらやっぱりそうで、でも想像とは少し違っていたので、脈略もなく楽しみながら書いていきたい。初めにお断りをするが、更級日記が何であるかは割愛する。はまる人にはとにかくそのセンスがたまらない平安日記、とだけ。

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孝標女に源氏をプレゼントした叔母はだれか

まず第一感で期待するのが道綱母。そりゃそうだ。蜻蛉(とんぼじゃないよ「かげろう」だよ)日記の作者は孝標女の叔母である。本朝3美人の1人。あのドロドロした蜻蛉日記の作者がかわいい姪に源氏全巻をプレゼントしたとなれば、これは平安文学のちょっとした事件である。

だが史実は異なる。孝標女は1008年の生まれ。道綱母は995年の没。重なっていない。孝標女がたしか(ここ記憶で書いていますすみません)三条宮(脩子内親王)にお仕えする叔母から源氏全巻をプレゼントされたのが1021年数え14歳のとき。ちがう叔母である。いまみれば、父方の名も伝えられていないこの叔母さんは、孝標女の影のプロデューサーといえる。

5代の祖は菅原道真

姓は菅原、名は孝標女…ではなく本名はあったはずだが、当時の女性の名は後世には残らない。ちなみに父方が菅原家で、母方が藤原家、ここで藤原右大臣道綱母につらなる。菅原のほうをたどれば5代前、道真から逆から数えるところの玄孫(やしゃご)が孝標女となる。学問の神様を父方にもち、時の栄華の系譜を母方にもつ。お父さんは受領階級、上総介を務めたというから、お嬢様である。

三条宮について

三条宮脩子内親王(997-1049)は一条天皇と中宮定子様の長女様であらせられる。別に皇族だからというので敬意を払ったのではない。あの中宮定子様、つまり清少納言に愛し愛された定子様、の長女様こそ、孝標女が源氏を手に入れた1021年の1年ほど前に「めでたき草子ども」を叔母を通じて下賜された方であった。つまり、脩子内親王は、中宮様から枕草子を受け継ぎ、縦のラインでは次代に伝え、横のラインでは「めでたき草子ども」を、それからおそらく源氏を(これは僕の想像)、孝標女に人づてに伝えた。ただ残念ながら「めでたき草子ども」が何であったのかはわかっていない。枕かもしれないし、それ以外の、いまは散逸してしまった書物かもしれない。

孝標女の他の作品

少女時代は存分に源氏に耽ることのできた、文学的にたいへん恵まれた環境にいた孝標女は、更級日記のほかにもきっと作品を残しているはずだ。そう、それが浜松中納言物語と、夜半の寝覚とされる。

どちらもひらたくいえば源氏物語の二次創作。源氏ほどには僕も読み込んではいないけれど、浜松のほうは特に、僕は孝標女の作品(少なくとも前半部分は)ではないかと思っている。ただし、反論もあるにはある。ここはウィキペディアの記述がフェアにまとまっている感じがするので引用しよう。

更級日記の記述によると、日記の作者である菅原孝標女は若い頃には『源氏物語』をはじめとするさまざまな物語にひたすら没頭したものの、年齢を重ねてからは若い頃のような状況を反省し、物語を「よしなき」ものとして距離を置くようになったと見られる記述が存在する。この物語を菅原孝標女の作とすると、物語の成立の時期は孝標女が物語と距離を置くようになって以後の時期であるということになり、そのような心境に達してからなぜ物語を書いたのかという点をどう理解するのかという問題が存在する。この点については、菅原孝標女は物語に全面的に没頭することについては否定的になったものの、物語というものを全面的に否定・拒否するようになったわけではないから、これに続く時代の物語評論の中で優れていると賞賛されるようなこの物語を書いたこととは矛盾はしないといった見解もある。

物語を「よしなきもの」(ひらたくいえば無用のもの)と、年齢を重ねて思う気持と、少女時代に没頭した源氏をモチーフに自分も物語を記そう、という思いが湧き立つことは、まったく矛盾しない。仮に、浜松が孝標女の作ではないとして、そうじゃないか、そうあってほしいと後世の研究家が感じたとしたら、それはすぐれた見方というべきだろう。「浜松」には、夢のお告げも来世信仰のような要素もあるし、いかにも「夢見る少女」の感受性を晩年まで残した孝標女らしい作品だと僕は思うのだけれど。

好きな本を読むお気に入りの場所

孝標女は几帳(間仕切り。簾のさらに内側)に籠って源氏全巻を暗唱するほどに読んだそうだ。id:kikumonagonさんが僕の前の記事にコメントをくれて(あらためてありがとう)、彼女がどこで好きな作品を読んでいるかを書くのは差し控えるけれども、ねこちゃんのように狭い空間に閉じこもって好きな本を読む喜びといったらない。

ちなみに僕の場合は通学のバスの中だった。社会人になってからは、電車、機内、空港のラウンジ、と、なんだか本質は変わっていない気がする。

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