id:kikumonagonさんが藤原行成のよさを直観してしまったらしい。枕草子(藤原行成)と徒然草が好きという。高校生でそれは早すぎる。すばらしい。そこでアドバイス罪に問われない程度に、枕草子/清少納言に関する蘊蓄をいくつか記そうと思う。
中宮定子との関係
中宮と女房という関係から誤解しがちだが、清少納言(推定966年生まれ)は中宮定子様(977年生まれ)よりもひとまわりほど歳上である。例の香炉峰の件りにしても、10歳下の高貴な妹が清少納言に(おねえちゃんならわかってくれるわよね)と思って「どうかしら」と尋ねたと思えば楽しい。
その観点でみると、まあ、見なくても、だけれど、枕草子は清少納言の、年下の身分ははるかに上のかわいい妹=定子様に対する敬愛で貫かれていることがわかる。さまざまな「をかし」(小さくて見ていて楽しくて賢くて愛らしい)の対象は、まず最初にまちがいなく中宮定子である。
そのことを感じさせてくれる本は、もちろん枚挙にいとまながい。1冊だけ。
タイトルの由来
伊周が一条天皇と定子に当時は高価な紙を献じた。帝チームは「史記」を書写することになった。そこで定子が清少納言に「わがチームは何がいいかしら」と問うた。清少納言答えていわく「それなら『枕』にしてはいかがでしょう」。
国文学/歴史学の世界には、この解釈に4つほど説がある。めんどくさいので転記はしません。すみません。
僕は、漢学に通じた(「しき」と音で聞けばそれが文脈から司馬遷であることくはピンとくる)清少納言が(帝チームが漢籍なら、わがチームは和風で。しかも気の利いた掛詞はないかしら、と)瞬時に頭をめぐらし「(敷き布団、なら、それに対する)枕でいきましょう」と応じた機知であると考えたい。また、この「しき」の音は、有名な春はあけぼの、からの四季を描いたときの清少納言の中にも印象深くのこっていたはずだ。中宮定子様ならきっとわかってくださる、との思いとともに。
(ひい)おじいちゃん譲りの夏
清原深養父は琴の名手として知られた。むろん和歌の名手でもある。
- 夏の夜は/まだ宵ながら/明けぬるを/雲のいずこに/月やどるらむ(小倉36番)
才を受け継いだ(ひ)孫はそのエッセイで「夏は夜」と記す。お見事。話はそれるが、三十六歌仙の36をこの歌に与えるとは、小倉の撰者はよほど立派で気の利いた、洒落のわかる方だったのではないかというのは僕の珍説。ついでに、
- 夜をこめて/鳥の空音は/謀るとも/よに逢坂の/関は許さじ(小倉62番)
「まだ宵ながら」と歌う(ひい)おじいちゃんの風流(琴の音が聞こえるようだ)を念頭に、(ひ)孫娘は「夜がまだ明けないうちに」と、鳥の音のきこえる中国の故事をなぞる。
角田文衛先生
「女好きがそのまま日本史研究者になった」といわれる泰斗。ぜひ「清少納言 角田文衛」「枕草子 角田文衛」で調べてみてください。で、もしわるい道に入ってもいいというのであれば、「角田文衛 藤原璋子」「角田文衛 日本の女性名」でググってみてください。
大野晋先生
日本語の要諦は活用しないもの(「てにをは」)と係り結び。これは僕の珍説ではなく本居宣長以来の伝統で、比較的身近なところでは大野晋先生の著作が腑に落ちると思います。理にも、情にも。平安古文を(品詞分解や解釈は必要だけれど、それを卒業したところで)感じるためには、感受性がやわらかいうちに読んでおいて損はないはず。
おっさん何者ぞ
国文や思想史の研究で食えるだけの才能がないことを悟った資本主義の走狗です。ねこちゃんのお世話をしています。にゃおー🐱
(追伸)今回の記事の内容は、概ね僕が高校生のときに古文の先生が話をしてくれて「ふむふむ」と思ったことの受け売りに、大学と院で習ったことを追加/更新したものです。着想は、丸谷才一/山崎正和の次の著作から大いに得ています。
まあ安倍ちゃんは人文学部を残しなさいってこった(残さなくたって焚書さえなければどんなことをしたって読んで聞いて語り合って写し記すんだけどね)。