id:TM2501氏の記事を興味深く読んだ。なかなか抉った分析であると感じた。しかし残念ながら長島茂雄(表記は海老沢泰久に倣う)を論じる基本文献に触れていない。せっかくなのでいくつかを簡単に紹介する。
1950年生まれの「茨城から上京した何も持たない青年」海老沢が、「高校時代にすでに何者かであった印旛郡出身のスーパースター」長嶋茂雄を自らと対比させ、その出生と人格形成、末っ子あるいは三塁手としての幸運と、監督になってしまった悲劇を丹念に描き分けるノンフィクションの傑作。1978年当時、発達障害ということばは一般的ではなく、また、長島にそうしたレッテルを貼ることはすでにタブー化されていた。海老沢は同世代の男の子の多くがそうであったように長島を信奉している。観察すればするほどわが手で神を落さなくてはならない痛切が、読者の胸を衝く。
- 海老沢泰久『監督』
プロ野球の監督という方法論において、海老沢は長島の対比角上に広岡達朗を置く。長島はかつて現役時代にショート広岡がさばくべきボールを横からダッシュして奪って1塁に投じたようには、ペナントをかっさらうことができない。それはなぜなのか。1978年のスワローズ初優勝をモチーフに、架空の1シーズン半を描くことで海老沢は広岡へのエールと、長島への訣別の辞を送る。胸熱だ。
- 海老沢泰久『スーパースター』
上2作よりも味は落ちるが、長島を暗示する「スーパースター」の常人とは異なる才能(例えば試合展開の先を読む、「ここでホームランが出ますよ」「なぜですか」「なぜって、そう感じたからですよ」云々)と、その悲劇的なユーモアを描いた短編小説。
ねじめ正一、赤瀬川隼、草野進(aka蓮實重彦)、星野仙一、近藤貞雄、江本孟紀、井上ひさし、橋本治、宇佐美徹也、糸井重里、安部譲二ら、長嶋ファンによる長嶋論のアンソロジー。大島渚、小田島雄志、山口昌男なんていう変わった顔ぶれもいる。玉木の長嶋論はこれと『プロ野球大事典』の関連項目を読むとおよそのところがつかめる。
まあ読んでくれ。「燃えた、打った、走った」よりもこっち(「ネバーギブアップ」)だと思う。
僕から何かいうことがあるとすれば、上の著者論者は長嶋が発達障害と聞いたら「だからなに?」「にもかかわらず、だな…」「ナガシマさんと普通の人を同じ土俵で論じるなんて…」などと反応するのではないかと思う。唯一、接点になり得るのが海老沢の著作(「ジャイアンツが敗れた」)だろう。当時30歳に届かない海老沢さんがこれだけの切実な分析を成し得たことには、感嘆を禁じ得ない。