約1ヶ月のご無礼を、まずは気にかけてくれたホマレ姉さん(id:homare-temujin)にお詫び申し候。ごめんにゃさい。
ぜんぜん関係ない話をします。うん。
実はこの4ヶ月、新しい本に手を出していない。買って読んだ本といえば「dancyu」「ねこのきもち」「クロワッサン(ねこ特集)」「趣味の園芸」「日経ものづくり」だけ。おしまいの「日経ものづくり」は仕事に必要なものなのでやむを得ない。
では何をしていたのかといえば料理をし、猫をし、園芸をしていたのである。
4ヶ月間、新しい本に手を出さないというのは42歳3ヶ月にして初めてのことだ。20代から30代にかけてどんなに忙しくても1日平均文庫本1冊は読んでいた。読み慣れたものを読み返す時間も含まれるので速度は大したことはない。鞄にはつねに文庫本が5、6冊は入っていた。この4ヶ月は1冊も入ったことがない。
そうまでして何のために本を読んでいたかといえば、もの書きになりたかったからである。男には自分の世界が、見果てぬ夢があると次元大介師が喝破したあれである。俺はどうしてもこれだけは書かないと斃れられないというテーマがある。なら書けばいいのだが、そうは問屋がおろさぬぴょんぴょん虫。
代わりに、生業として、売文の道を選んだ。産業調査とかエコノミストとかシンクタンクとかいろいろいうが、要は企業の妾である。国の予算がとれればなおおいしい。「主持ちの小説はいけない」といったのは誰だったか。
そんな仕事はつまらない。といってしまうのは簡単で、実はコツをつかむとこれがめっぽう面白い。実際、もうじきメディアに出るとか出ないとか。したり顔で何を語るんだ俺は。この1ヶ月の日中は(締め切りに追われたこともあったけれど)どっぷりはまって売文屋をしていた。
ブログを書くというのは内側にたまった埃や澱を払う作業。その埃や澱は、見る人が見れば光に違(たが)わない。例えば車谷長吉。そこまでストレートでなくていい。どんな作家でも、澱みを暗示しない、のどごしのいい文章を書くようになったら村上春樹のようにおしまいである。俺が山月記の李徴のように、いちどしかない若き日には闇に潜ろう、いっそ虎になってしまえばと20代に差し掛かったころに腹を括ったのはそれが理由である。俺を知ってくれる人の多くがその洞窟は危険だ。何もお前が潜ることはない。そんなふうに戒めてくれた。でも俺は潜ってみたかった。俺の胸の中にはくすんだ色の活字の形をした夥しい穴が開いていた。穴からはセイレーンの声がする。
売文の合間に俺はせっせと闇に目を慣らし、そこで覚えた目の冴えを夜に週末に書き留める暮らしを続けた。
闇に目が順応して、もういい頃合いだろうと思ったのは2年ほど前のことである。この闇を抱えていれば俺は日向者になってもやっていける。それは意志薄弱な俺にとって数少ない、腹の底からの感覚だった。だが問題があった。登り口がわからないのである。入り口から垂らしてきた蜘蛛の糸はとうの昔に自棄を起こして切ってしまっていた。そのときになって俺は初めて20年の歳月を少し悔やんだ。来た道を引き返すには遠すぎる。単独は別に怖いことではなかった。けれどこんなときに頼れる誰かがいてくれたらと思ったのもまた事実である。
「にゃあ」
俺は辺りを見渡した。猫の声がする。こんなところにいるはずがない。山月記の読み過ぎか。あれは虎だ。
すると誰かが俺にその猫のことは「はなちゃん」と呼ぶんだと囁いた。
「はなちゃん」「シャー」
俺ははなちゃんに導かれながら日の当たるほうを目指して歩いた。
かいつまんでいうと、澱が蓄積されず、書くことが生まれず、はなちゃんのお世話とベランダ花壇の準備で充実した1ヶ月でした。ごめんにゃさい。
はなちゃん、とても順調です。