illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

戦場のボーイズ・クライ/岡崎京子展を見に行く

長い記事なのでここだけでもどうぞ。

11時

新宿駅で待ち合わせ。馬喰町/浅草橋に1,100円60分で好きなだけ刺身など海の幸を食べさせてくれる店があると聞きつけて、お嬢をお誘いした。JR東日本ではマナーアップ的なキャンペーンを絶賛実施中だそうで、電車内で体の不自由な人や困った人を見かけたら「どうしましたか」と声をかけるのが美風なのだそうだ。


報道発表資料:平成26年度「鉄道利用 マナーUPキャンペーン」 - 国土交通省

国土交通省ひも付きの親切心、押しつけご苦労様です。

お嬢と会う。はなちゃんがいかにかわいいかを話す。

11:25

浅草橋駅。雨が降っている。「天気予報では雨といっていたのは確認した。でも出掛けたときには降っていなかったので。だいたいIoTとかいってる昨今、雨が降ったらどこからともなく屋根がにょきにょき生えてくる街作りくらいしてもよさそうなものなのに」と消え入る声で主張する。傘に入れてもらう。はなちゃんの話はまだ続く。

11:30

お店前に到着。おそらくネットで調べてやってきたであろうご同輩が列をなしている。開店時間ちょうどだからと高をくくっていた。入場。


東京都 馬喰町・浅草の居酒屋 | たいこ茶屋

1人1,100円を入口で入って席に案内される。小ぶりのホタテ、ブリ、サーモン、マグロ(以上お刺身)、サラダ、たまご、酢飯、白米、具だくさんの味噌汁、豚キムチ、ひじき豆、60分でお代わり自由。残した場合は罰金1,000円。続々と席が埋まる。客単価は見えているのでランチの収益と原価を掛け合わせ、人件費、テナント料そのほかを引き算しながら刺身を堪能する。なかなかうまい。

12:15

店を出る。出た先に山口那津男のスマイルが待ち構えている仕掛け。入場時にはうまく見えないようになっている。敵ながらあっぱれ。


参議院議員 山口なつお オフィシャルサイト

公明党の支持母体のこういうちょっとした技には恐れ入る。

13:30

芦花公園駅に到着。南口で降りてコンビニで70cmの傘を買う。徒歩5分。左手に品のいい和洋の建物が見えたらそれは世田谷文学館だった。


世田谷文学館 - 文学を体験する空間

1人800円で企画展(今回は岡崎京子)と常設展の両方が見られる。95年に設立された当時俺は大学生で世田谷区に住んでいた。もうちょっと練れてから見に行こうと思いつつ20年が過ぎてしまった。閑静な緑の多い住宅街に似つかわしい洗練された外観と内装。1Fガラス張りの外には池の鯉が見える。

そして真打、2Fの企画展「戦場のガールズ・ライフ」へ。


iOkazaki:岡崎京子ファンサイト


【マンガ】岡崎京子の代表作とあらすじ - NAVER まとめ


マンガ家・岡崎京子初の大規模展「戦場のガールズ・ライフ」が世田谷で - 300点以上の原画を公開 | ニュース - ファッションプレス

13:45

泣く。岡崎は1963年に下北沢で生まれた。POPEYE/Oliveがよく似合うポップで壊れそうな女の子/男の子を、80年代から90年代半ばの世相風俗に寄り添う形で彼女は世に送り出した。企画展は、白、黒、赤、ピンク、ブルー、光と闇、1Fには岡崎京子関連の書籍が展示され購入可能、展示会場の2Fではpinkのユミちゃんほか岡崎オールスターズが来館者を待っている。同時代史をなぞるように、たとえば「76年ロッキード事件」「81年向田邦子が航空機墜落事故で他界」などといった出来事と岡崎のヒストリーが並列で語られたコーナー(ほとんどの来館者がここで足を止め思い入る)、商業紙掲載作が当時の見開きのままガラスケースに展示されるなど。彼女の半生はそのまま下北沢という感性の歴史でもあるのだ(たぶんね)。

14:15

岡崎先生ごめんなさい。沢尻エリカヘルタースケルターは苦手なのです。沢尻はどこでも生きていけそうじゃないですか。あと先生が大切にしていた「私はどうしていまここにいて何なの? つまんない。どうしてどうしてどうして? 誰か助けて」という繊細な病が、その実存的な発酵としては、沢尻さんからはどうしても感じられないのです。

14:25

展示を終えて出ていこうとして泣く。理由は種明かしになるので説明できない。行って見てきてほしい。

14:30

アンケートに答える。アンケート箱が2つあっておかしいと思ったらもうひとつは岡崎先生に届けるメッセージを投函できる箱。レターを書く。この熱量は久しぶりと思ったら開高健記念会でメッセージを残すときに似たものだった。俺にとってベトナム時代の開高健バブル崩壊後の岡崎京子と相似なのだ。

 

オカザキ・ジャーナル

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リバーズ・エッジ 愛蔵版

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くちびるから散弾銃 (KCデラックス )

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14:35

1Fの常設展の奥では下北沢にゆかりのある文士を取り上げる。坂口安吾森茉莉(鷗外の娘)、朔太郎(猫町)、汀女(中村)、石川淳、かなり好み。横光利一だけ嫌い。この「下北沢クロニクル」の締めにはやはり岡崎京子。泣く。 

15:00

岡崎京子作品はずっと追いかけていた。活動を停止する96年の少し前には時代の停滞も相まって、岡崎作品が難しいところに差し掛かっていたようにも感じないではなかった。95~96年の思想的空気というのはそんな感じだった。すごく微妙ないいかたになるが、96年までの活動を結果的に真空パックできて、そのもっとも凝縮された部分を同時代の文学史として展示会で見られるというのは、ほとんど僥倖であると思う。

16:00

俺と同じように展示に足を止めて思い入っていた人たちは、「ふつうの女の子がセックスを武器/道具に使って資本主義的欲望を満たしていく、そのことに忠実であることが時代の総体として抱擁されていた」にもかかわらず「わたしはどうしていまここにいるの。またあのビョーキが。だれかたすけて」と渋谷の街の真ん中でうずくまってしまうほかにない、そしてそのことが許された、奇跡のような日本の86年から91年ごろまでと、自分の人生のいち時期を重ねていたのではないかと思う。

そして岡崎京子の時代の代弁者としてのすごさは、そういう欲望のありかたを全力で肯定した、という表面的な相だけで見えるものではなく、肯定するために全力で走らなければならない危うさと裏表であったことを、まるでパノラマのように、僕らに示してくれたことだったのだろうと思う。バイシュンはいけないとかそういうことではなくて。

だって俺らほんとあのころどこに行けばいいかわからなかったんだぜ。佐野元春聞いてもサムデイが来るとは心底思えず、気持ちのどこかでは熱すぎて嘘っぽいと思ったりしてた。シャーシャーいって走ってた。

17:00

かつてのボーイズは、今回の企画展に足を運んで、例外なく泣いていたんじゃないかと思います。すばらしい才能、すばらしい企画でした。

17:30

(追伸)これまでの岡崎全作品揃えたい。