illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

腹の立たない羊頭狗肉/ヨシユキのあんちくしょうについて

 看板に偽りありにはうるさい俺である。ま、最近はその看板のキャッチにすらろくなのがない。だから手にする書物は古いものになりがち。

 ひどい本が2冊ある。同じ2悪人による対談である。

対談 美酒について―人はなぜ酒を語るか (新潮文庫)

対談 美酒について―人はなぜ酒を語るか (新潮文庫)

 

  あんまり酒について語っていない。あのことについてしか語っていない。本当にがっかりする。大好きだ。仕方がないので同じ2悪人による別の対談を手に取る。

街に顔があった頃―浅草・銀座・新宿 (新潮文庫)

街に顔があった頃―浅草・銀座・新宿 (新潮文庫)

 

 せめて朝井泉aka泉麻人程度には銀座について語ってほしい。こちらもあのことについてしか語り合っていない。大好きである。嘆きつつ感じ入ってばかりいても仕方がないので引用する。

開高:いつだったか外国で、私、ドアを開けっぱなしにしたままで、釣道具の手入れか何かしてたの。そのとき廊下を通りかかった女が、やっぱりチラと覗いた。するとその女は、すんませんという調子で、恥ずかしそうに顔を伏せて通っていった。ハハア、これはかなりエチケットをわきまえているなと思って、あわてて飛び出したけど、もうエレベーターに乗ったあとだった。

吉行:つまり、ほとんど愛したわけね。

 全編ほとんどこの調子である。続きをちょいと引いてみる。開高:ほとんどまではいかないけど、読みは細かいな、嗜みがあるな、と。吉行:できるな、というか。開高:それそれ。そういうのが1回だけあったな。吉行:それは、魅かれるね。

新潮文庫『街に顔があった頃 浅草・銀座・新宿』(開高健吉行淳之介1988 P.83)

 先生方、お願いですから浅草/銀座/新宿の話をしてください。浅草/銀座/新宿でおっさんらがしていた噺/話をするならそう書いて…いや、どのみち買うからいいんだけど。

 ヨシユキ先生は対談の名手といわれているが開高先生のほうが俺は対談の名手だとかねてより思っておる。ヨシユキはね、聞き上手、引き出し上手なのは間違いない。でも、引き出しの中身のほうは開高先生のほうが上だ。男振りはヨシユキのほうが上だろう。エッセイもうまい。見事だ。多くを学んだ。しかし。芳醇この1点にかけて俺は開高サンを支持する。

 たとえば、これ。

人とこの世界 (ちくま文庫)

人とこの世界 (ちくま文庫)

 

 井伏(鱒)、今西(錦)、大岡(昇)、広津(和)…と、まあ21世紀の読者さんには下の名前を略字で書いても伝わらないだろうと思うのでやってみた。読まんだろう。いいのだそれで。きだ(み)、武田(泰)、金子(光)、深沢(七)、島尾(敏)、古沢(岩)、石川(淳)、そして田村隆一。5年前のGWに俺がやさぐれて書いたレビューがamazonに残っておるが、本書の惜しむらくは解説が佐野眞一。沢木(耕)の悪口は書くがそれなりに熱心に読んだから書くのであって佐野のことなど書く気も起きんわ。

 えー「人とこの世界」が人とこの世界のことを記しているかといえば必ずしもそうではない。当代の思索家を訪ねた記録ならギ・ソルマンの名著がある。本書は読書子の期待に必ずや応えるものだろうと思う。

二十世紀を動かした思想家たち (新潮選書)

二十世紀を動かした思想家たち (新潮選書)

 

 「人とこの世界」は思想それ自体にはあえて踏み込まない隔靴掻痒の趣き、嗜みがある。雰囲気、熱燗の人肌の熱量を味わうのによい。それをもっと蒸留して胡麻塩をひとつまみ散らすと先の2作の対談になる。再度、断っておくが「美酒について」は酒について語らず、「街に顔が」は街について語らず、の秘めたる書である。素人さんにはおすすめしない。

 それでもなお貴君らにヨシユキ先生についていきたい気持ちが残っているなら次の書などはお勧めできる。

贋食物誌 (中公文庫)

贋食物誌 (中公文庫)

 

 いちおう(ここ点々おねがいします)食物について語っている。挿絵は見ての通り山藤章二。レシピが出るわけでも銀座の名店が出るわけでもない。だが本書はためらうことなく買いだ。1974年、わが生を授かった翌年に、日本にはこれだけの爛熟があったという史実に対し、俺はいつだって磯の鮑の片思いである。