80年代のMLBの雰囲気を伝える本はいくつかあるが、そのベスト3は「野球は言葉のスポーツ」(馬立勝/伊東一雄)「メジャー・リーグ紳士録」(伊東一雄)そして「ベースボール・グラフィティ」(常盤新平)であろう。次点が山際淳司の「アメリカスポーツ地図」「真夜中のスポーツライター」「ニューヨークは笑わない」であろうか。次点といながらお前はまた山際淳司の話かと後ろ指をさされるのはわかっている。放っておいてくれ候。
さて、ベスト3はどれも読み応えがあるが、今回は常磐の「ベースボール・グラフィティ」を推しておきたい。80年代前半のそのときどきのMLBのトピック、あるいは懐かしい昔話が文庫本見開き各2、3ページにして約100編。いくらでも読み進められる。パンチョ伊東のほうは列伝体である。好みにお任せする。
また、本書(常磐)は、2000年代に入ってCSやBSあるいはインターネットでMLBのゲームを見ることができるようになったからといって、気の利いたことが話せるようになるとは限らないという格好の教材でもある。問題は受容体のほうにある。詩心の問題といえるかもしれない。例えば次の1節。
ディマジオは私生活に触れられるのをいやがるが、彼の私生活について、私たちが知っているのは、マリリン・モンローとの結婚と離婚である。
結婚してまもなく、マリリンが朝鮮から帰国したときのことだ。米軍を慰問して大歓迎を受けたモンローは興奮して言った。
「ジョー、あなたはあんな拍手喝采を聞いたことがないでしょう」
ディマジオはおだやかに答えた。
「いや、あるさ」
ディマジオはいまでもこの亡くなった前妻の墓の前にバラの花をおくるようにしているそうだ。心優しい男なのである。
ディマジオとはマリリン・モンローの話を絶対にしてはいけない。
奇妙なことに、相手を威圧したはずのディマジオは一方ではじつに敏感だった。胃が弱くて、連続安打の記録を伸ばしていたとき、胃潰瘍にかかっている。やはり、ディマジオは優雅と優しさがあったのである。バーコーはこのディマジオの知られざる一面を語っていた。
常盤新平「ディマジオ(1)」講談社文庫『ベースボール・グラフィティ』P.72所収
何のことかわからないか、肝心のときに自家薬籠から出てこない連中が追悼の記事を書くから平板な美談になる。唐獅子牡丹で斬り込む代わりに、俺は明日も本を読むだろう。
Yahoo!ニュース - 健さん 元妻の墓参り欠かさず(2014年11月18日(火)掲載)
ちなみにいえば、バーコーというのはNY Timesのスポーツ記者アイラ・バーコーのことである。バーコーはポール・ギャリコに並ぶとはいわないまでも80年代屈指のスポーツライターである(であった)。そう俺は常磐新平から習った。検索しても出てこない。いまはどこで何をしているのだろう。