illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

1961年10月29日は肉の日ではなくスタンカ記念日/君は円城寺を知っているか

 西本幸雄青田昇が史上最高の外国人選手は誰かという話をしている(われながら何という導入だ)。

 西本「オレはスペンサー、マニエルだと思う」

 青田「それはもう、スペンサーやわ」

 文藝春秋『Number』173号(1987/6)「最強の助っ人は誰だ!」P.36

初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

 

  僕もそう(=ダリル・スペンサーであると)思う。だが今日は肉の日。それも10月である。今日だけは史上最強の助っ人は違うのである。バースでもない。何のこっちゃわかるまい。実は今日は記念すべき1日なのである。そこで一句。

 円城寺―

 続きがすらすらと出てくる妙齢のご婦人と文通したいものである。

 正解は「円城寺/あれがボールか/秋の空」(詠み人知らず―ある商社マンが試合後に色紙に記してスタンカに渡したとされる)。1961年10月29日の話である。続きはウィキペディアで頼む。

 しかし俺はウィキペディアからコピペできるような話をするために昼間の職務をパワーセーブしているのではない。

 スタンカ【Stanka, Joe】アメリカから来日した、いわゆるガイジン選手のなかで、初の通算100勝を記録し、"スカタン"という愛称で大阪のファンに親しまれた大投手。1964年の日本シリーズで、南海ホークスのエースとして、第6戦、第7戦に連投。2日連続完封勝利という、とてつもなく日本的な大記録を残した。

玉木正之「スタンカ」新潮文庫『新潮プロ野球大事典』所収P.294

 ガイジン選手初の通算100勝は須田博(ヴィクトル・スタルヒン)ではないのかという向きは、ぜひもういちど玉木の隠微で知的な筆遣いを味わうことをお勧めする。「アメリカから来日した」と、玉木はわかってさりげなく断りを入れている。若き日のおっさんさすがである。ちなみにガイジン100勝の2人目が別の記事で紹介したバッキーである。 

プロ野球大事典 (新潮文庫)

プロ野球大事典 (新潮文庫)

 

 阪急のスペンサーがジャイアンツの与那嶺要と並んで日本の黎明期のプロ野球をモダナイズした立役者であるのは間違いない。

 だが、今日だけは、できればそこにスタンカの名を連ねてほしい。ウィキペディアジョー・スタンカ」の項で触れてあるように、彼こそは53年前の今日、ゲームの帰趨を左右する局面で球審円城寺にボールと判定された直後、エンディ宮本にヒットされたバックホームの球のカバーに入るふりをして渾身の体当たりを浴びせたプロフェッショナルである。アメリカの流儀を初めて日本に持ち込んだのだ。


昭和36年日本シリーズ 南海対巨人 スタンカ激昂 - YouTube

 相対し、打ち身を食らわせられた円城寺満球審(1910-1983)。その最後の言葉は「ボッ、ボッ」「ボールだった」「ボールだ、ボールだ」であると伝えられる。

 以上を前段にして、ここから、円城寺球審の名誉ために話したいことが山ほどあった。

 しかしたったいま(2014/10/29夜)タイガースがホークスにやられるという緊急事態が出来した。64年の南海のスタンカによって2日続けて完膚なきまでに叩きのめされた相手がタイガースである。50年の歴史がいま俺の視界でぐるぐると踊っている。そんなわけで悔し紛れにキャベツをつまみながら黒霧島を飲み始めた次第である。

 本当は「球審がボールというのだからボールだ」という海老沢泰久の誇り高き話をしたかったのだが、明日に回す。乞うご期待。くそ。

球界裏の演出者たち (朝日文庫)

球界裏の演出者たち (朝日文庫)