「なぜ、前借りが必要かというと、遊びですね。じつによく遊んだ。中洲で飲んでいるでしょう。ファンが集まってくる。そうすると、ファンが飲んだ分まで選手が払う。今とはちがいますね。今は、おごってくれそうな人としか酒を飲まないでしょう。昔は逆だったんです。少なくとも、西鉄ライオンズの選手と地元のファンとの関係はそうなっていた……」
山際淳司「西鉄ライオンズが復活した日」角川文庫『野球雲の見える日』所収P.159
タイトルは「昭和のいる・こいる」とすべきであったか。時流に阿(おもね)ることもあり。のいる・こいる師匠では話がつながらないのでご容赦願いたい。
むかしのプロ野球選手の遊び方はこうだったというのを紹介したい。出典はご存じ山際淳司。ところでテレビの前のみんなは「ご存じ」の使い方を知っているか。かつて開高某というおもろい人物は親書に「ごぞんじ」と記すのを常としたそうである。大兄はいったいどこでこのような艶な用法を覚えられたのであろうか。
昭和には特別な年号がいくつかある。
ひとつは…とやりだすと蘊蓄になる。昭和33年(1958)に絞ろう。開高健が「裸の王様」で芥川賞を受賞(1月)。長島がデビューした(4月)。スーパーカブが発売された(8月)。皇太子と美智子さんのご婚約(11月)。そのミッチーブームの少し前、中秋のピークが日本シリーズであった(10月)。ライオンズがジャイアンツを3連敗のあと4連勝して下す。3タテ返しの4タテはこれがプロ野球日本シリーズ史上初のできごと。
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竹のところには読者諸兄の判断で似て非なる本家の名前を。僕が高校3年生のとき(1990)には竹ちがいのイケメンはまだ世に出ていない。
さて、同じ名前…を枕に、本題。その名前を記したくないがために前振りが長くなってしもうた。
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ジャイアンツには大エースと名前がたまたま似ているだけのシーズン5勝投手がみみっちい遊びをして、あまつさえTwitterで論旨のすり替えを行ったそうであるが本当か。本当ならご愁傷様である(何とわれらがタイガースの某若手外野手も件のVIPルームにいたのか)。藤本(引用者注:藤本哲男さん)のところに特急列車の乗務員がやってきた。「もう、食堂車は閉めなければなりません」「……」「この列車に積み込んだ酒、食料を全部たいらげちゃったんですよ、ライオンズの選手たちが」車掌がそういうのだった。そして、藤本は当時の金で5万数千円の請求書をつきつけられたという。
前掲書P.160
「景気付けに俺たちが中洲で飲んでやったからだ」
筋金入りの西鉄ファンは、いまでもそう信じている…らしい。