illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

金玉医者の/皮膜のごとき/長い話―なぜ白血病マネージャー「ゆっこ」がいかんのか


金玉医者 立川談志 - YouTube

 2002年2月20日は(いま改めてこうしてみると記念碑のような美しい並びをしている)その男の子がその場所に降り立ったときの日付である。
 男の子は病気にかかっていた。とてもむずかしい病気だ。
 そこに、心を病んだひとりの医師がやってきた。
 何かの思し召しのような、それは偶然であった。彼女はそのことを瞬時に予感し、すこしの逡巡のあとにこれは天啓なのだと察し、受け入れることにした。そう思うことは医師という仕事に誇りをうしなって倒れていた彼女のことをほんのわずかに、そして同時に激しく支え、何かを迸らせた。彼女を走らせたものは、ひとつには職務倫理である。男の子の病気を彼女はよく知っていた。彼女は「15日の場所でいえば3勝12敗かそれ以下」を実感としてずっとその病気と向き合ってきたのだ。20年近くになる。


 ふたりの出会いが2ちゃんねるであったのも彼女には少しの救いになったようだった。2ちゃんねるは、そして当時のインターネットは、いまのインターネットと同じように嘘と糞と味噌の塊である。そんな男の子はもとからいなかったのだ。抜け殻になってしまった、かつての希望に満ちた血液内科医の卵も、振り返ってみれば蜃気楼のように見える。「もし患者さんと医師という関係で向き合っていたとしたら」と彼女はいった。そして何かをいおうとして、口をつぐんだ。
 そのような間合いのあとには、何かの秘めごとが表明されることが多い。インタビュアーとしての習性が反応する。切り込まなければならない。
 「耐え切れなかった?」
 「うん――ううん」
 昭和記念公園近くのカフェで彼女は遠くを見ていた。落ち葉の季節だった。彼女は言葉を探っていた。僕も言葉を探っていた。
 「物語は、物語を書くことのできる人は、すばらしいと思う」
 そんなことをいわれたことも考えたこともなかった僕は固まったように思う。物語はなくてもいいものだからである。ごく限られた例外的な状況を除いて人はそのようなものを必要としない。たとえば新宿区役所の真下でミミズくんが暴れて日本に壊滅的な状況をもたらそうとしているとき以外には。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

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  「どうして、だろう」僕は訊いた。素の自分に降りてしまっていた。

 

 一連の出来事がひと区切りを迎えたとき、彼女は2ちゃんねるのスレッドを印刷して新幹線に乗った。男の子のやりとりと、その後に彼女が建てた別の寄せ書きのスレッドである。出発をぎりぎりまで待ったのは、ひとりでも、ひとことでも多くのメッセージを託されていたかったからだ。その紙の束は彼女にとって、男の子の霊前に捧げられなければならないものだった。

 おそらく「リアルの」友だちから白い目で見られるだろう。そのことはわかっていた。でも、そうでもしなければ、自分の気持ちに区切りを付けられそうになかった。

 そして予想した通りに叩かれた。リアルからは「なぜきたんだ」といわれ、ネットからは「よせばいいのに」といわれた。
 這々の体で戻ってきた彼女は、通夜の席で厳しい視線にさらされたことを伏せて2ちゃんねるに「届けものをしてきた」「男の子にも家族にもみんなにも喜んでもらえた」と記した。男の子の物語をきれいなままにしておきたいと思ったからである。

 「願いも、祈りも、言葉から生まれるから」
 「うん」
 「だから物語はいいなって思う」
 「うん――なかなかできないけれど」
 「それに」
 「それに?」
 「本当のことでもわざわざ人を傷つけるようなことを書く必要はないでしょう?」
 「そうだね」
 「でも、医者はちがうの。願いも、祈りも、求められてはいない。しかも合法的に人を傷つけることが許されてしまうのよ」

  男の子のスレッドに呼び寄せられる前、彼女は親しくしていた患者のおばあさんから治療拒否をされていた。ゆるやかな下り坂が続くほかにない病気ではあるが、それでも治療はうまくいっていた。関係もよかった。

 「先生、もういいの。ありがとう」
 あるときおばあさんはいった。それは場を明るくするための辛口の冗談か何かだろうと医師は思った。
 「もういいって?」
 「先生、よくしてくれて、ありがとうね」
 そういって微笑むと、おばあさんは翌日から食事と治療を拒否した。
 思い当たることはひとつもなかった。おばあさんの亡骸をみて、医師には目の前で起きたことがわからなかった。涙を拭いて立ち上がった翌日から、診療記録をめくって答えを探す日が続いた。手がかりはどこにも見当たらなかった。気を紛らわせようと医療という職務にそれまで以上にのめり込むようになった。
 願いや祈りが拒まれたとしても、医療技術までが拒まれるいわれはない。そう彼女は信じていたし、一種の清潔さを好んでもいた。

 わるいとすれば、と、当時の彼女は、思うほかにない。
 「自分の何かが足りなかった」
 そして倒れた。もともとほっそりしていた体重は「あの先生、どこか悪いんじゃないの」と患者や同僚から噂されるほどになっていた。
 インターネットには、そんなふうに戦い敗れた人が光を探そうとして、かえって深みにはまる格好の場所がいくらでもある。その闇のもっとも奥深いところで彼女は男の子に出会ったわけだった。

 

 ネタならどんなにいいか。ネタであってほしいぞ

 男の子が自分の病状について書いていることばである(ちなみに、たしなめる文脈とフレーズなのに、どこかユーモアを湛えているのはいつ読んでも不思議に思う)。

 嘘ならよかった。みんな嘘なら

 僕のノートに記された、血液内科医のことばである。そしてメモによると、続けて、彼女は僕にこんなふうに伝えてくれていた。

 「きれいな物語を書いてほしい。天国の<彼>が喜んでくれるような」


白血病の闘病マネージャー、実は架空の人物だった 茨城新聞がおわび掲載 - ねとらぼ

実在しなかった白血病マネージャー「ゆっこ」 JCBA日本野球指導者協会がおわび掲載 「確認行えないまま進めてしまった」 - ねとらぼ

 だから、メディアは、せめて虚実の虚に自ら乗せられて踊るようなことをしてはいけないのだと、ものすごくきれいなジャイアンになったつもりで書いてみた。よよん君、ごめん。「これをいわなきゃいいんだ俺は」と、談志ばりに反省しています。そちらの雲黒斎の旦那にひとつよろしく。おもしろいおじさんだ。きっと、君のいい友だち――そちらの世界では君が先輩だ――になってくれると思う。

 何が「だから」なのかはどうか突っ込まないでおいてほしい。