「Number」270号(1991/7)はタイガース特集である。昔のNumberはときおりタイガース特集を組んでいたから、嫌いなりに愛想を尽かす気になれなかった。この号も相当に気合が入っている。この前は長い記事を書いた。今回は短く1点だけ紹介する。
―なるほどねえ。バッキーさんの一番印象に残っているゲームって何?
バッキー:40年のノーヒット・ノーランゲームね。バッキー、速かったね(笑)。
村山:あの時、バッキーがプレートの手前から投げとったの、知ってる?
―えっ!? 知らない。
村山:ノーヒット・ノーランを意識し出してから、だんだんと前に出た。土でプレートを隠してしもうて(笑)。で、アンパイアが何も言わんもんやから、どんどん前に行く。
バッキー:アンパイア悪いね(笑)。
江夏:僕はそのときまだ入団していなかったんですけど、あとでその話をきいて大笑いしたんです。やっぱり野球っておもしろいね。
村山:それだけ熱中してるんですよ。
文藝春秋『Number』270号 P.38「我ら猛虎、かく戦えり」(司会:瀧安治)
昭和40年(1965)6月28日にジャイアンツを7-0で下した阪神甲子園球場のゲームである。「ジーン・バッキー伝」には、荒川博コーチとの乱闘(1968/9/18)よりもこちらのエピソードのほうがよく似合うように思う。
『暴れん坊列伝』に「バッキー」の項がある(瀧安治)。が、大した成績を残さず王貞治との遺産で食べる荒川博とバッキーが、史的評価において刺し違える理由はない。
村山:バッキーはノックアウト食らうと、ロッカーで泣いとったんやで、こんな大粒の涙を流して。バッキーたちの年代とバースたちの年代のものの考え方を較べると、アメリカ人でもこれだけ差があるのかと思うもの。バッキーたちのほうが日本人に近い。
前掲書P.36
瞬間湯沸器と暴れん坊は違う。彼は磨けば光るという理由でテスト生として藤本「お爺ちゃん」定義監督に拾われた。そして練習と研究によって外国人選手として唯一の沢村賞(1964)を受賞するまでになったナイスガイである。エース3人による「Number」270号の鼎談は、そんな雰囲気をよく伝えているように思われる。
- Gene Bacque 60年代のプロ野球選手。ポジションは投手。背番号は4番。 1937年8月12日生まれ。米国ルイジアナ州出身。右投右打。 長い手足から繰り出される変化球を武器に活躍。 チャームポイントはバッキースマイル。 1964年、29勝をあげ、阪神タイガースのセ.. 続きを読む
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