【探偵!ナイトスクープ】魔球はプロ野球選手に通用するか? - YouTube
「探偵!ナイトスクープ」の「魔球はプロ野球選手に通用するか」の回を見て頬が思い切り緩んだ…勢いで、少し昔の夢のような話を思い出したので紹介したい。平出隆の「リロン・リー、ファウルズに来たる」である。一般の人には平出もリロンも誰のことかわかるまい。こういうときはウィキペディアの力を借りてお茶を濁してしまうに限る。
草野球チーム《ファウルズ》の監督兼三塁手として、長い間チームを牽引。最盛期は毎年65試合に出場していた。チームは1976年に詩人山口哲夫・稲川方人との雑談から《草野球団・ファウルズ》として創立された。1985年にアメリカ野球殿堂が文書をもって公認した史上初の草野球チーム。1986年《クーパースタウン・ファウルズ・ボール・クラブ》となる。球団の名誉顧問として長嶋茂雄、名誉選手にレロン・リー、名誉監督として豊田泰光を擁する。平出自身による関連書籍として『ベースボールの詩学』『白球礼讃』などのエッセイがある。
このブログに足を運ぶ奇特な人ならリー兄弟が合計3,015本のヒットを重ねていることをおそらく知っているはずだ(レロン1,579/レオン1,436)。兄のレロンが4,000打数以上の打者として最高の3割2分の打率を残していることも射程内であろう。しかしタイトルがなぜ「リロン」なのかはわかるまい。僕もわからないので平出先生にメールか何かで問い合わせすることを考えている。もちろん単なる誤植だとは思うが堂々とリロンと書かれるとそこには神秘性が宿る。
ともあれ、1988年7月10日の夕暮れにそれはやってきた。レロンを「それ」itで受けているわけではない。やってきたのは「それ」としかいいようのないものである。
「きみがそれをつくれば、彼はやってくる」(キンセラ『シューレス・ジョー』)
その、レロン入団実現に至る経緯が意外性のある夢に満ちていて楽しいのだが――僕は意地がわるく良書は自腹を切って読んで味わうべきだと固く信じているので――紹介しない。山際淳司編『スタ・メンはおれだ』(福武文庫)をぜひお買い求めいただきたい。幸いにも昨今はものの価値がわからない古書店によって1円で投げ売りされているケースも目立つ。どれくらい価値があるかは著者とタイトルで示すのでそこから感じ取っていただくよりほかにない。
- ねじめ正一「長嶋に会いたい」
- 平出隆「レロン・リー、ファウルズに来たる」(目次)「リロン・リー、ファウルズに来たる」(表題と肩)
- 村上龍「おまえ、いいな巨人戦も観れるんだろ?」
- 永谷脩「120キロの快速球」
- 山際淳司「ルーキーと夏の少年たち」
- 深田祐介「外人選手は『鬼畜米英』か」
- 平尾圭吾「助っ人稼業もラクじゃない」
- 池井優「ジョー・スタンカ」
- 玉木正之「幻の東尾事件」
- 海老沢泰久「審判員谷村友一」
- 赤瀬川隼「I'm back」
- 虫明亜呂無「忘れじの『巨-神戦』名場面あれこれ」
- 五味康祐「一刀斎は背番号6」
- 寺山修司「野球の時代は終った」
- 山際淳司「スタ・メンはおれだ」(解説)
自分なら違う作品を入れるというのも2、3ある。村上龍とか永谷脩とか村上龍とか永谷脩とかである。が、書かない。とくに永谷脩は若き日の清原和博を甘やかした責任の一端がある。汚らわしい。別稿に譲ることとする(だいたい僕は選手晩年からの清原が嫌いだ)。それから、「審判員谷村友一」は海老沢「審判員」(朝日文庫『球界裏の演出者たち』)であり『孤立無援の栄誉』(講談社文庫)であり、玉木の「幻の東尾事件」はプロ野球批評として最上のものであり平尾圭吾は「バースの日記。」(集英社文庫)なのであるが話が通じないと思うので口をつぐむほかにない。
あのレロン・リーが世田谷球場にやってきたという歴史的事実がほとんどすべての孤独を吹き飛ばす。四半世紀がすぎてもその喜びは変色しない。
「あれ? リーじゃないか」
と通りすがりの二、三人が気づいたくらいだったが、あっという間にひろまって、少年野球の子供たちが、ベンチ裏のフェンス越しにサインを求めようと集ってきて大変な騒ぎである。
…美樹夫人はいった。
「少年野球教室に行っても、こうなんです。コーチの人から、その子は補欠だから、こっちのクリーンナップの子を教えてください、といわれると、彼はこういうんです。――ぼくがほんとうに教えたいのは下手な子です、って。彼が試合に出られて、ほんとうにベースボールを楽しめるように、って」
ぼくはあらためて、みんなにリー選手の入団を発表した。
「レロン・リー、クーパースタウン・ファウルズ名誉コーチ兼名誉選手の入団を発表します。年俸は推定で1億7千万ファウルズ円。背番号は32。これは、ロッテ時代の5番は小池が、メジャーリーグ時代の9番は江代が、畏れ多くも占拠しているので、高校時代のフットボール選手だったときにつけていた番号を、リー選手がいま選んだものです。しかもこの番号は、あの輝かしい記録、三割二分の日本プロ野球史上最高の生涯打率をもあらわしています」
拍手が沸き起った。ぼくたちは球団歌を合唱で披露し、それからレロン・リーも美樹さんもジュリエットちゃんも一緒になって、「テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボール・ゲーム」を歌った。
レロンは9回裏、ファウルズが9対12の劣勢で2アウトからの最終打席に立つ。そして2ストライク2ボールからホームランかと見紛うほどの見事な大飛球をセカンドに打ち上げる。ゲーム・セット。勝ち負けには関係なく、味方も対戦相手も人生最高の舞台を心ゆくまで味わっていた。だって打席にはあのレロン・リーがいるのだ。
引用はすべて山際淳司編『スタ・メンはおれだ』(福武文庫)所収の平出隆「レロン・リー、ファウルズに来たる」(目次)「リロン・リー、ファウルズに来たる」(表題と肩)から。 1991年刊行。いまなおプロ野球アンソロジーの最高峰である。