illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

栗といつまでも

いつものシャポー/澤光青果/イトーヨーカドーとは違ってたまには少し遠くに足を伸ばしてみた。伸ばしたとはいっても船橋中央図書館と同じ建物(!)でここは日ごろの散歩圏内。ヤマイチさん。外回り営業の途中で「そういえばここにもスーパーがあった」と入ってみたら中々に興味深い。帰宅した後に買い物袋を用意して、栗、小あじ、さつまいも、鶏もも、ニラ、卵、などを買ってみた。

スーパー ヤマイチ | 船橋店

日本の近代化が総体として誤りであるのは明白だが、いまは口にすべきときではない。金木製は2021年の船橋では9月10日から11日に香りを放ち始めた。

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さつまいもは細い部分は斜めに包丁を入れると断面が広く見えて好ましい。実用上も火の通りが速くなる。よく洗えば皮はむかない。罰が当たります。

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お尻を包丁で切ったりしない。縦に割る。

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実家は栗をやっていたので何をどうすればいいかはだいたい覚えている。皮の付いた栗を内外どちらもむきやすくする方法(茹で方)はあるが、ばあさんが「手間はかかるようでもいちばんおいしいのはこれ」といっていたやり方を採用した。ネット(インターネットではない)から取り出して、洗って、ひと晩、ぬるま湯に浸して――もちろん途中で何度か替える――包丁を縦に入れて正中線で2つに割って、爪を立てて外皮を、次いでピーラーで内皮をむく。面倒くさいかなと思ったが案外そうでもない。台所に石油ストーブを置いて、松前漬けの下ごしらえをしていた子供のころの様子が浮かんできた。40年も前のことなのに、ばあさんのやっていたことは概ね覚えている。

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炊きあがるのを待ちます。お米8にもち米2、水は規定より気持ち少なめ、十分に浸水/吸水させた上で、塩少々、清酒少量。よくかき混ぜて、通常炊き。

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おいしくいただきました。

いただいたところで、せっかくなので諸兄には、近代化が総体として誤りだという話をしたい。栗をむくのは全行程でいっても手間ではない。楽な部類である。大変なのはいが栗を拾うところ。ズック靴で入って足をやられたらいい。いが、毛虫、ぶよ、何でもござれである。

 

だから厚手の靴下に厚底の長靴、雨でないのにセパレートの雨がっぱ、軍手の2枚重ね、頭に手ぬぐい、農作業用のハット帽、右腰から蚊取り線香、左腰に栗を入れる籠、右手にトング――当時はトングとは呼んでいなかったはずだ。が、呼び名が思い出せない――で、左足かかとを土に固定しつま先でいがを挟む。口が開く角度を見極めて、右手からトングの先を伸ばして栗をつまみ、左わきの下をくぐすように籠に入れる。籠がいっぱいになったらキャンプ設営所(大げさだがそんな感じ)に籠を空け、水分を補給し、時計を見る。この繰り返しである。ちなみに設営所では、一次仕分けとして、虫食い穴の有無、穴なしのほうは大まかに大中小で段ボールにわけて入れる作業を担う。

 

お察しかと思うが農家で食べるのは虫食いに限られる。スーパーで買った栗をむいたときにどうも勝手が違うと思った。こう(きれいに)はいかない。穴の周囲を包丁で落としたり刻んだりつまようじでほじり取ったりする。大きさもまちまちである。中には、小さい穴だけれど中で虫が育っているのもある。そういうのは実の半分がとれればよし、とれそうになければまとめてごみにして、庭先で焼く。火はドラム缶でくべる。底に、アルミで包んださつまいもを入れておくのが上手い。ぱちぱちと爆ぜる音がして、だからおれにとって秋の風物詩は、金木製と、庭先を流れる火燃し(ひもし)の煙。そのはぜる音。

 

明日9月13日、大正12年(1923)生まれのばあさんは、生きていれば98歳になる。おれとちょうど半世紀違う。おれなりにがんばったつもりではあるけれど、やはり日本の近代は総体として誤りだと思う。生家では秋の初物は神棚に上げて、じいさんが柏手を打っていた。いまおれのいるところには神棚がない。

 

代わりにねこちゃんがいてくれる。ばあさんには済まないことをした。おれは東京に出て学問なぞをやるのではなかった。長い長い遠回りの末に、ようやく、これなら、ばあさんに食べさせてやれるかなという風味の栗ご飯を炊けるまでに、40年を要したことになる。

クリといつまでも

おれのくーちゃん

仕事を早回しで片付けて、商談を船橋寄りに集めて、少し遅いお昼に、くーちゃんに会いに戻ってきた。去年の9月10が月から、ほとんどくーちゃんとは日がな一緒にいた。「日がな」というのは「さも1日中そうだったかのように見えて」(実際には定かでない)という含みが少しある。ほぼ、一緒にいたと思う。

1年の間、くーちゃんはおれに、早くよくなってとか、社会に戻ってとか、一切、いうことがなかった。素振りもなかった。お世話を求めたのでもない。お世話はどんな状態にあっても欠かさない。くーちゃんの寝るに任せ、食べるに任せ、少々、尽くしたことといえば、ブラッシングに励んだくらいだろう。わかったのは、くーちゃんはおれのことが好きらしいということだ。らしい以上を口にするのは下僕の基本理念に抵触するし、何よりおれには憚られる。

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くーちゃんは出会ったときから変わらない(575)。くーちゃんがおれの横を過ぎるおもちゃのボールを、おれを眼中なしに追いかけていった。保護主さんのところで、その様子をおれが何より愛しく思い、撫でて、抱き寄せたのである。だからおれは今でも、おれを見ないでいるくーちゃんのまなざしが好きだ。くーちゃんはおれを見ないほうが(くーちゃんのために)いい。

そのくーちゃんが、暮らしの中で、いつしか、おれを見るようになった。そうしたのは、おれだ。これは万死に値する。雨に濡れない、食べるに困らない、温調の効いた、トイレのきれいな暮らしを約束することくらいが、おれにできるせいぜいだ。

おれはくーちゃんに何ひとつ返すことがこれからもできないまま生きるのだろう。これまでにも2度3度ほど同じ思いをした淡い記憶がある。またしても立ち直ってしまった。おれのくーちゃん。

ハルサメとは何か

id:wattoさんのツイートから来ました。

「小雨」「氷雨」の「雨」はなんで「サメ」と読むのだろう。 - 爽風上々のブログ

大変に面白い。大好きです。ワタクシいまさらですが学位はありませんが高校時代を含めると30+年、品詞分解を在野の好事家として研究しています。今回、代表4例だけ引きますがこれ、ワタクシのような数寄(好き)者にいわせると直観的に「沖つ白波」「秋つ島」が連想されます。

  • 春雨(春):春つ雨[春の雨。以下同じ。略]
  • 村雨(夏):村(叢)つ雨
  • 秋雨(秋):秋つ雨
  • 氷雨(冬):氷(ひ)(つ)雨

「つ」は現代の「の」に近い連体助詞。奈良時代から盛んに用いられたというのが定説です(岩波古語辞典P.1484下ほか)。平安時代には衰えた。不安定なもので、用例の多い時期は短く、やがて衰える傾向にあった(同)。現代には「目つ毛」(睫毛)「わたつみ」(海神。ワタクシの愛する船橋市海神カイジンは、元は綿津海。海の神様です。ですので海神駅トリトンのテーマが流れます)「下野」(しもつけ)などに姿を留めるのみ。

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話を戻して、haru-tsu-ame。これが、まず(1)母音連続を避けるためにuが落ちた。haru-ts-ame。次に(2)tが落ちた。それで(3)haru-s-ame。春雨以外も同じように説明可能です。(4)そこから先、これ以上sが落ちるとu-aと母音が連続してしまうためsはストッパーとして機能した。補論として(5)落ちるのはtでもsでもよく、sが落ちてharu-t-ame「春た雨」でもよかったかなと思います。こういうの(春た雨)が辺縁の古語に残っているのが見つかったりすると面白さひとしおです。

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以下は余談です。

(A)上方には洒落や方言交じりに「場合」を「ばやい」と読む例や地域があるそう(あるよう)ですね。ba-aiでいいところを、母音連続を避けるため(にか)、ba-y(j)-aiとなる。似た例はほかにもありそうです。

(B)中津川。これ、僕「長つ川」が古形のひとつではないかと想像してきました。土地と土地の間にある「中つ川」(境界の川。境川)がひとつ。もうひとつが「長つ川」(長い川)です。固有名詞は定着すると形が用言ほどには変わらない。バス停などにもその土地の地名の古形がしばしば残ります。

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取り急ぎ以上です。

www.youtube.com

追記: 荒稲(荒つ稲)なども、同様に説明が効きます。卒業論文などに育てるには、あとは時代と用例の考証です。「平安時代には衰えた。不安定なもので、用例の多い時期は短く、やがて衰える傾向にあった」(岩波古語辞典P.1448下。おそらく編集主幹である大野晋先生ご自身の説)が鍵を握るかと思われます。

「君が代」古形に就きて

おそらく古い形は、

我が君は千代にましませ/さざれ石の巌となりて苔のむすまで

です。助詞「が」がポイントでして、古語で「AがB」というときにはAにとって(親しい)所有のBという意味です。例えば西行はわかって使っています。

松が根の岩田の岸の夕涼み君があれなとおもほゆるかな

いい歌ですね(西行玉葉)。Twitterで見つけました。だれか知らんがいい訳ですね。

熊野詣、岩田川の岸辺。夕涼みに君がいてくれたらと、ふと思っています。

— nekohanahime (@nekohanahime) 2018年7月15日

ですので(いろいろと略)、

親しい貴方、どうか長生きなさってくださいね。細かい石が育っていつか遠い先に岩になるという話があります。さらにそこに苔が生えるくらいまでに。

です。「おらが春」なんていうと春との距離がぐっと縮まる。「君がため春の野に出でて」と帝が(まあ実際の作り手は帝じゃないですけれど)「君がため」と「が」を用いるから親愛と親しみが募ります。「私が私の貴方のために」というニュアンスです。

君が代は千代に八千代に(以下略)

これの君が天皇陛下だとします。陛下を「君」(みかど=お方)とお呼びしていい方は限られます。筆頭はお妃様です。

皇后さま84歳の誕生日 「お言葉」全文: 日本経済新聞

約30年にわたる、陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も、あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが、加齢と共に徐々に「全身」をもって、という部分が果たせなくなることをお感じになり、政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が、陛下のこれまでと変わらず、心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。

陛下は御譲位と共に、これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、以後もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

僕にいわせたらお前ら全員不敬です。愛国者共産主義者も。もちろん僕も。美智子様はずっと変わらぬお立場とおことばで、稀代のハゼ研究の成就なさることを祈念なさっていらっしゃいます。お前らは流し目をくれるだけで読まないでしょうから繰り返し引用します。

陛下は御譲位と共に、これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、以後もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

――君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで

こうしたご加護があって初めて、そのご加護の元で、民間(たみのあいだ)にバリエーション(俗歌)が生まれます。俗歌が私的な婚姻関係を歌うのに対し、雅歌(美智子様)は、来(きた)る、新しい御代の安泰を祈り続けなさいます。

三木道三 【Lifetime Respect 】レゲエ名曲 - YouTube

一青窈 - ハナミズキ - YouTube

Watashi Ga Obasan Ni Nattemo - YouTube

何の不思議もない歌と時代精神の構造を少しお話ししてみたいとふと思いました。だめ押しで申せば、君が代の代/世は元号の代でも立憲君主制でもありません。まずは、帝の――上皇様の――「いち生涯」です。それが例えば漱石が「こころ」で、三島由紀夫が市ヶ谷で殉じた時代精神です。時代が変わったら古い時代の人と精神は滅びるのが道理であります。私は平成の御代とねこ様たちを無事に見送り仰せたら腹を切るつもりです。それでも御代は代々、続く。そこに安心と立命の原理があります。漱石と三島が触れている通りです。

有明の月を待ち出でつるかな

こちらは、素性法師です。

今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

これも非常にいい歌です。前回の「有明のつれなく見えし別れより」との対で見ても面白い。

  • 今来むと:「む」は意志。「と」は引用。今はこの場合「いますぐ」「もう間もなくこれから」です。今回の解釈には関係ありませんが、古語の今は「新しい」の意味もあります。「今様」。ご参考まで。《「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と》。
  • 言ひし:「し」は直接体験過去。伝聞ではなく我が身に起きたことです。和歌の場合は自分か相手です。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」といった(仰った)》
  • ばかりに:副助詞。およその見当、だけ、だから。もとは「計り」(推し量る)。現代語でもこの「ばかり」(ばっかり)は通じますね。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに》
  • 長月の:夜の長い(長さ、深まりが感じられるようになった)月です。陰暦9月。太陽暦の10月下旬です。「ああ、日が詰まったなあ」としみじみと感じられるころ。「の」はここでは比況例示の感じもあるだろうと思います。いかにも日の詰まった10月下旬の。
  • 有明の月を:午前4時半を前後とする1時間半の時間帯です。その中空に沈みかねているお月様。もちろん長月との韻です。ここでもう中世人は「あはれ」と思うんですね。歌い手が女性であることがわかる。次に「待つ」が続くこともわかる。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた月を、私は》
  • 待ち出で:単に待つではない。待ち出づ。岩波古語辞典P.1225「待ちかまえる」「出てくるまで待つ」。現代語にも「(アイドルや推し筋の)出待ちをする」語彙がありますね。あれです。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた未明の月を、貴方がお出ましになるのを、私は、今か今かと待って》
  • つるかな:「つる」は完了継続態から強意詠嘆に転じた助動詞です。その連体形。助詞「か」の上は連体形です。「かな」は、奈良時代までは「かも」が用いられていた。平安人は「も」(不確かさ)よりも若干、輪郭のはっきりした詠嘆(気づき)の「な」を好んだ。自分でも意外さに軽く驚いている、拍子抜けをしている含みです。「ずっと待ってしまったのですね」。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた未明の月を、貴方がお出ましになるのを、私は、今か今かと、ずっと(こうして)待ってしまったのですね》。これで完成です。

貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた未明の月を、貴方がお出ましになるのを、私は、今か今かと、ずっと(こうして)(気づけば夜通し)待ってしまったのですね。

これを不成立の後朝として女の家から使いが男の家に届ける。そうすると男は、忘れていたのか、別の女のところに通っていたのか、反省を強いられる。「ああ、自分は、あの女を前の晩の8時9時から(夜通し)待たせきりにしてしまったんだな。何て済まないことをした」と。その詫びを歌にして返さなくてはならない。花か、布地か、季節のものを添えなくては形が付かない。

女はひとことも男を責めていない。男は責められていないのに、どういうわけか責められた気がして、「もう、別の女のところに行くのはよそう、やめにしよう」と思い、愛しさが募る。よくできています。

素性法師(そせい-ほうし)は史実を残していないので、実際のところはわかりません。女に仮託した、作りごとでしょう。ただ、何となく、ふたりがもし結ばれたのだとしたら、男は一生、いわゆる尻に敷かれた、頭の上がらない関係だった、ことあるごとにこのなれそめを持ち出して拗ねられた、男はそのような女を娶り得たことに幸せを覚えたのでは、という感じはします。

暁ばかり憂きものはなし

追記:旧暦26日頃の月が「有明の月」「暁月」と呼ばれます。壬生忠峯が袖にされた(つらい別れのあった)のは(何月かは判りませんが)下旬、26日前後であることがわかります。

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壬生忠峯(860?-920?)に、有名な、

有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし

があります。

  • 有明は月や湾ではなく、午前4時半を中心とした前後1時間半(午前3時から午後6時)の夜、明け、空、空気、物音、気配、そういったものを伝える語彙です。意味は、文字通りとってください。(何かが)有る、在る、明るさ、あるいは明るさが有る、在ることです。そこから月や星、主に月が(言外に)導かれる。
  • つれなしは、「連れ」がない、accompanyできない、2つ/ふたりであるべきところ、やむなく、情けなく、ひとりであるさまです。
  • 見えしは、見ゆ(思われる、感じられる)プラス、直接体験の助動詞「き」連体形。間違いなく、壬生自身のこれは実体験ですという念押し、含みがあります。作り話だとしても、実体験という枠の中で聞きてくださいねという、いわばお約束。ちなみに壬生は現代でいう守衛です。そのことは、この歌の世界では度外視していい(むしろ、そうすべき)。
  • よりは、時間の起点。何々よりこの方、sinceです。
  • 暁は、有明にほぼ重なる時間帯です。
  • ばかり〜なしは、最上級。最も〜だ。
  • 憂しは、「不満が内攻して、気持ちがつくづく(絶えず)晴れない」(岩波古語辞典P.158)が、さすが大野晋先生のご理解。

かつて、午前4時過ぎ、ひとり取り残されるような別れがありました。あれ以来、未明になると、私は自分でも味わったことのないトラウマに襲われます。

太宰治ならこんな感じでしょう。

この別れは、おそらく1回ぽっきりの情交の後、例えば身体の相性がよくなかったとか、遊んでも大しておもしろくなかった、といった軽さではないですね。憂しと釣り合わない。憂しというのは世界の終わりに近接します。ある程度の、長い男女関係にあったふたりが、女のほうが先に心が離れた。最後の情交は、互いに、これでおしまいだという予感があったはずです。愛撫はおざなりのものだったか、かえって激しかったかは、壬生に尋ねてみるよりほかにありません。

行為の後で、別れを女のほうが切り出した。女の愛のほうが深かった、だからなのかもしれない。ジュリーやオフコース松山千春の恋歌のように。男は自分の受けたダメージに目を遣り、追って、覆うのに精いっぱいで、あり得たかもしれない女の優しさにまで想像が及ばない。

女の家を追われ、ふと斜めに見上げれば、月が残る。頭を抱える。しゃがみ込む。

「おれはあれ以来、毎月26日頃の、夜明け前がとにかく怖い。辛さがよみがえってくる」

そんな、男の幼稚、単純、身勝手さも含めて、いい歌です。激しく切ない歌なのに、ア音がリズミカルに、明るい基調を携えています。奈良でも平安でも、ア音はだいたい、あかるい語感です。

都会では政治化する若者が増えている

都会では政治化する若者が増えている。それよりも問題は明日のご飯。サツマイモが高い。行かなくちゃ。シャポー船橋に行かなくちゃ。ヨーカドーにも行かなくちゃ。雨に濡れ。冷たい豆苗が今日も冷蔵庫の中にある。黄身をことこと煮たいな。灌漑は偉大。それはいいことだろう。

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一日中、食べることが頭にあって、絶えず、献立を考えています。2食+αが体に合うことがわかってきた。食い意地が張っているのではなく、自分の身体がほしがるものは何か、聞き耳を立て、食材と調理方法を、できるだけうまく結び付けたい。例えば、僕の場合、牛肉はほとんどいらない。鶏肉7.2、豚肉2.8くらいがちょうどいい。ご飯(雑穀)、主菜(ソーセージで肉じゃが。カレー粉をまぶす)とキャベツか白菜とトマトをしっかり、サツマイモかブロッコリーかとうもろこしを1切れか2切れ、蒸して添えたい、汁物はほしい(お豆腐と白みそがいい)、なすを揚げるのはその2食後くらい、ほうれん草を茹でるか、かつお節はあったっけ、だしの取り方をもう少し研究しよう――カレーからの脱却、卒業(カレーはカレーでおいしい)――

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できれば帰農したい。けれどその帰るべき農がない。いまの僕にはない。人生が二度あればよかった。

井上陽水 人生が二度あれば - YouTube

ベランダでサツマイモが作れるわけがない。すばらしい。適宜、仕込みを始める。ミニトマト、ピーマン、サツマイモ。候補が絞れてきた。

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