illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

すばらしい古井由吉のよさについて

すばらしい古井由吉のよさについて、ここ1週間ばかり、遅ればせながら、書を買い求め、取り寄せて、しみじみと読み尽くしています。 

こんな日もある 競馬徒然草

こんな日もある 競馬徒然草

 

10代半ばと20代のころに読んだのを除けば、再読(僕はどうしても、好きになると全作を(時系列通しで)読みたくなり、その一連の間、党活動のことを、自分で再読と定義しています)これが2度めです。ただし当時、80年代の終わりから90年にかけては古井は現役の作家でしたから、当時行った営みは「通し」ではない。

先ほど古井作品に大量の発注をかけました。この間、4冊読んで、弩のつく「はまった」をしました。そして大量発注をした。はあちゅうさん本代返してください。

だが、そのよさは、何であるかをここに具体的に書いてしまうのは忍びない性質のものです。古井は生前、世田谷上用賀に暮らし、馬事公苑によく通っていたそうです。そんなことも知らないで、僕は馬事公苑を挟んだこちら側、経堂(宮坂)に下宿し、馬事公苑に通っていました。それなのに、JRAの「優駿」を、Gallopを、見過ごし、見(まみ)えるを得なかった。なぜ、90年代に見過ごしてしまったのか。

nekohanahime on Twitter: "どこでおれは古井由吉とすれ違って、見過ごしてしまったのか。柄谷を読んでいたころか。「ノルウェイの森」を読んで、「杳子」が古いと感じてしまったからか。JRAの「優駿」はさすがに手を出していなかった。ANAの季刊誌に載っていたなら見逃さなかった。古井由吉は、戦後の丸谷才一と右手左手の関係だ"

それは見過ごしではなく、さまざまの読書の紆余曲折、遍歴を経て、僕が自分の生きている間に古井に間に合ったということなのだろうけど(特に丸谷才一を経たことは大きい)、その透徹の天からの声と味があまりに染みて、生々しく、僕は当時のことを思い、激しく、後悔しています。

上になぜ《JRAの「優駿」》とわざわざ冠したかというと、優駿といえば一般には、そして僕もご多分にもれず、宮本輝が先にくるタイプだったからです。そしてそれは党方法論上の明らかな誤りだった。「ドナウの旅人」以降の宮本は救いがたい。その中で「優駿」には狂気がある。わるい物語ではない。だが、古井の次ということはありえない。

僕は90年代、JRAの「優駿」やギャロップやデイリーで古井を見かけ、見過ごす際に、この人は趣味で競馬をやっているのだろう、息抜きに書いているのだろうと思った。あまりまじめに読む箇所ではないと、だから、読み逃した。そうではなかった。私の、党方法論上の誤りである。文の、文章の、文体のうまさとは。随筆(筆の赴くまま)とは。僕の読みたい馬が、競馬が、歓声が、どよめきが、落胆が、頁の合間からこぼれてくる。何という趣味のよさ。それを編む、編者、勇者、智者、愚者、変者、軽き者、高橋源一郎――走る、タカハシ――

nekohanahime on Twitter: "古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草」を結局2度、通しで読んだ(正確には書店で0.2くらい。だから3周目に)ためいきが/こぼれるほどにすばらしい(575)。おれはこれが読みたかった。おれの読みたかった競馬はこれである。天に召された古井由吉、人馬一体、思い出を、追憶を、勇者タカハシと宙駆ける"

*

(ここから、正気に返ります)

さて、高橋源一郎はみなさんもご存知でしょうか、黄金頭さんのひいき筋のひとり。僕は彼のたまに挟み込む高橋評がとりわけ好きなひとりです。

本書「こんな日もある」で高橋は、90年頃からこのかた30余年の名場面、あまりそうでもない場面、「こんな日もある」の場面を、静かに、しなやかに召喚します。いくつか引きたいレースもあり、しかしいまここでそれをやってしまうのは惜しい。

いま書店店頭に並んでいるから手に取るが宜し。

その高橋は競馬場で古井と待ち合わせをしたりして、そのレースの引けた後に連れ立って酒を飲みに行ったこともあるという。なんたるうらやまけしからん話を淡く、レースの熱狂の声が遠のいた趣さながらに、思い出を昨年ちょうど1年前(2月18日)に亡くなった古井に献じます。

nekohanahime on Twitter: "古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草」(講談社)おもしろい\(^o^)/ 編・解説が高橋源一郎高橋源一郎の解説がまた洒脱。あとで「むりに読まなくてもいいからね」って黄金頭さんに送る🐈💕 こんなにきれいな高橋源一郎を見たのはほんとに久しぶり。🐎💕高橋源一郎ってこうなのね🐈💕🐎💕"

これは、黄金頭さんに、彼のコンディションを尊重して仮令(たとえ)、ぱらぱらとめくる程度であったとしても、お送りしなくては、伝えなくては、そしてそれができることの喜びをと思いました。焼酎の2着、少し馬身は置いていかれた恰好になったけれども、お送りすることにした次第です。

*

そんなわけで、コロナが落ち着いたら、大井で。大井で待ち合わせができたら。船橋は横浜からだとちょっと遠いからね。そんなことを、湾の入り江のこちらから、願ってみました。人馬一体、ご自愛を。

 

2021年如月

船橋海神

なぜ本を大切にしてはいけないか

そもそもは、「もの」と「こと」の対立に遡ります。対立というか、「もの」のほうが(おそらく)より古くて、遥か遠い昔に、《「もの」世界から「こと」世界の引き離しが起きた》といわれます。ただしこれは実証主義的な歴史学の話ではなく、どちらかといえば、「方法としての古語」や文学史観に近い話です。その上で、《》に記したようなことは、大野晋福田和也亀井勝一郎三島由紀夫などが、それこそ「もののはずみに」控えめに口にしています。

日本の歴史を振り返ってみると、「もの」と「こと」の対立は、仏教公伝(6世紀前半から半ば)に相前後する、廃仏派(物部、中臣)と受容派(蘇我)というかたちがもっとも古い表れでしょう。

いまさらっと僕は物部、モノノベと書きましたが、「へ」「ベ」というのは、古い日本語で「そのあたり」という場所を表す名詞か接尾辞らしいです。それが転じて、集団、集団の長、職掌、となりました。モノノベというのは、ですから、モノを司る一族がいるあたりとなります。あるいはもっと直接的に、モノの近くにいる、番人かな。物見櫓(ものみやぐら)。

コトというのは、理(ことわり)の「こと」にも通じ、モノ(形而下)に対する形而上、ロゴス、抽象のレイヤのことです。蘇我氏が仏教、財政(カネ)、法の側にあって、それまでの祭(まつりごと)に代わる政(まつりごと)を推し進めたのは、彼らが大まかにいって、「もの」よりも「こと」に親和する、より時代の趨勢に適った、新しい、思惟様式の持ち主だったことを表します。

このときに、「もの」の側の人たちはどうしたかというと、「こと」に、どうしても押されてしまいます。僕はいま半ば意図して「どうしても」と記しましたが、「もの」には、どうにもならない定めという古義と語感がぬぐいがたく付着しています。大野晋丸谷才一の卓見を引けば、「だってそうなんだもの」と僕たち私たちはいいますね。「だってそうなんだこと」とは、いわない。「もの」には、ほかにどうしようもないときに、語尾に付着する用法が備わっているらしい。

またあるいは「もののあはれ」といいます。これは本居宣長源氏物語の本質を掬いとったフレーズとして有名です。しかし、実は源氏物語のテキストには「もののあはれ」といういいまわし、それ自体は、出てきません。源氏物語は、次々に「もの」「こと」を書き連ねていき、どうもそこに「あはれ」(大野晋によると南インドのドラヴィダ語族の語彙に、受苦、受け身の苦しみを語義の中核にもつ、アファールということばがあり、どうやらこれに由来するらしいです)があるようだと、本居宣長は気がついた。

そしてそのあはれは、「もの」の側に付く。そのことに注意を促すように、本居宣長はわざわざ、「ものの」と冠したわけです。

もちろん、描かれた「もの」からも「こと」からも、読み手はあはれを受け取ることができます。しかし、こと「源氏の」「もの」「語り」にあっては、本質は「こと」ではなく、「もの」の側にある、「もの」によって所有、比況、例示(「の」の本質的な役割です)された「あはれ」、すなわち「もののあはれ」(を「物語」として語る/語ったこと)にこそ、源氏物語の本質と、紫式部の優れた奇跡的な着想と、粘り強い意志があると、本居宣長はいうわけです。

またたとえば、「もの悲しい」「もの思い」とはいいます。これに対し、「こと悲しい」「こと思い」とは、いわないこともないですが、こと古文世界では、まずいわない。「もの」には接頭辞として働くときの「少し」というニュアンスもあって、これはマテリアルやエンティティ(物体)に付着した、主に伴う従の、という性質をよく表しています。

反対の側面からいうと「事実」とはいうけれど、「物実」とは、まずいいません。

こうした観点からものを眺めてみる営みは(僕には)とても面白くて、福田和也江藤淳から何を受け継ぎ、小林秀雄を撃つと決めた際に何をどう武器としようとしたか、三島由紀夫は何に負けたのかとか、昭和末年ごろの物書き(もの書き)がなぜワープロを嫌って筆と原稿用紙にこだわったのかとか、なぜ私たちは西欧風の愛情よりも、日本古来の愛着(着はものに付着する着です)によく親しむのかとか、たいへん多くのことを下支えしてくれる説明原理のように僕は思います。

いま、「ものごと」といいます。これは初学のうちは「もの」と「こと」は近しい間柄であるかのように、概念の隣接や混交を予感させるかのように聞こえたり、感じたり、使ったりしてしまいがちです。しかし、おそらく6世紀かそれ以前に遡る「もの」と「こと」という基本語彙が、その後1,500年のあいだ混交せずに、かえって踵を接して、峻別を保っている、そのことに着目するほうが、遥かに示唆的です。

「もの」は絶えず「こと」に押されつつ、自らを悲しみの側に追いやって、生きながらえてきた、いる、これからも、というのが、現時点の僕の立ち位置です。

なぜ、本派と電子書籍派に私たちは分かれてしまうのか(もちろん二刀流を否定するものではありません)。ねこちゃんの下で、できれば、仲よくしたいものです。なぜ本を大切にしてはいけないか。そうです。エクリチュール、書かれた「こと」、そして読み取られた「こと」は「意味(理。ことわり)」であり、それらはものから離れて存立が可能だからです。諸賢はすでにおわかりのように、そこには、ものに伴った「ものかなし」「あはれ」だけが、(取り)残される。

時代や時勢というものは、どちらからどちらへ移りゆく性質をもつのか。なぜ、本を大切にしてはいけ(行け)ないか。そのときに、それを見越した上で、大兄、あなたは、どちらの側に立つのか。

 

某年某月
船橋海神(語り部

公開後の追記

  • 源氏「もの」がたりといいます。
  • 民法の世界では有名な、電気は有体「物」かという争い、論点があります(法解釈上はほぼ解決済)。内田春菊でんこちゃんが「電気を大切にね」というのは、(僕には)とても面白いです。
  • 「お金を大切に」といったときに、それは正しい「こと」なんだけど、何となく気持ちわるい、という感じ方にもつながってくるように思います。
  • そういえば、「本もの」とはいいますが、「本ごと」とは、まずいわないですね。

若い読者のための黄金頭さん案内(1)

黄金頭さんが昨日(2021年2月9日)、「わいせつえんとつの町」を上梓されました。ちょうど彼のこと、そして彼の作品群を、僕もそろそろ本格的にレビューに付していい頃合いではないかと考え、村上春樹「若い読者のための短編小説案内」を繰っているところでした。

黄金頭さんをすでにご存知の方にも、そうでない方にも簡単に彼のオンラインで伺い知ることのできるプロフィールを引いて紹介しておくと、次のようになります。

未年(おそらく1979年。昭和54年)の2月22日生まれ。鎌倉育ち横浜市中区在住。周辺的正社員。コンスタンチンくんが火傷の治療を受けた病院で生まれ。高卒の低収入賃労働者。双極性障害(II型)で、うんざりしており、うんざりするようなことしかつぶやかない、カープと競馬を愛する、やりとりをしない人。反出生主義者

これは、彼がブログやtwitterで公開しているプロフィールや断片をつなぎあわせてまとめたものです。多くの方はこれらに対し、初見で逃げ腰、及び腰になるのではないでしょうか。かくいう僕もそうでした。しかし一方で、彼のテキストを、特にここ5年ほど、2016年以降に彼が記した物語群身辺雑記に触れた方は、そうしたプロフィールから受けるのとはひと味もふた味も違った印象を受け取るのではないかと思います。

そして、その49対51くらいの比率でポジティブな印象は、バスタブにお湯の満ちるように、読み手の感受性をひたひたと侵食して、「ひょっとして」「あるいは」「ははーん」と思わせるものではないでしょうか。今回の僕の記事は、その「ひょっとして」の手前くらいにいる方を一応の対象としています。

 

僕の話を少しだけすると、

丑年(1973年。昭和48年)の3月に、栃木県の宇都宮市というところに生まれ、現在は千葉県船橋市で起居しています。ここ半年ほどはフルタイムの仕事はお休みし、充電中。足利育ちの母方の祖父の感受性を引き継ぎランディ・バースの次くらいに、ひところは競馬を愛していました。

僕が黄金頭さんの記事を見知ったのは、2014年頃でした。当時、モスクワに駐在しており、あれは確か中島敦「李陵」をようやくわかりかけてきたかなというころです。「李陵」というのは――あくまでも僕にとっては、ということですが――モスクワ・メトロの中で、初めて、大陸の空気と共に、胸にすうっと入ってきた作品です。駐在先に隣接するモスクワ風のマンションに戻り、何かしら書いておきたいと思って中島敦を、埴谷雄高を、長谷川四郎を、松田道雄を検索していたときに、偶然にヒットして、「黄金頭」という文字の並びを見かけました。「共産趣味者かくかたりき」というエントリーだったと思います。

いまどき、珍しい人がいるものだなと思いました。というのは、僕の父親が全共闘で、僕は同級生を含め、同時代の人たちと話の通じないことにうんざりするような30年を、ものごころついて以来このかた、送ってきたからです。

中島と埴谷までなら、まあまあ通じます。長谷川四郎でアウト、アメリカ横断ウルトラクイズで脱落して、幾度、徒歩で大西洋を渡ってきたか知れません。松田道雄はなおさらです。それがこの人は、悠々と、「趣味者」という直観的な理解でもって引き当てている。ねこの写真もある。何者なんだろうというのが、テキストを通じた僕の初対面で受けた印象でした。

 

申し訳ありません、もう少し、僕の話を。それは、僕が心ひそかに自分だけの主戦場としてきた、スポーツ・ノンフィクションについてもいえました。僕は山際淳司研究のおそらく国内の第一人者です。山際淳司を語るということは、最低限、沢木耕太郎を、海老沢泰久を、玉木正之を、虫明亜呂無を、寺山修司を、別冊宝島シリーズを語ることと同義です。そのはずです。濃淡はあれ、彼、黄金頭さんは、ほぼすべて押さえている。加えて、渋沢龍彦を、近藤唯之も(近藤唯之はすべて読んでいるという趣旨のことを、本記事の公開後にご本人から伺いました。近藤唯之め)。

初期の山際淳司が好んだフィールドの固有名詞に、横浜市体育館、本牧伊勢佐木町、横浜港、河合ジム、上大岡、桜木町、石川町、元町、などがあります。彼は1948年、当時の横須賀逗子町の生まれで、内陸栃木に生まれた僕にとっては、憧れの場所でした。そこに、いま、脚をずったらずったらと曳きながら、僕と同じ好きなことを――僕よりも遥か高みにある文体と感性で――いま、紡いで(くれて)いる人がいる。

まさか、いるとは思いませんでした

 

必要最小限と思いつつ、僕の話が長くなりましたので、彼、黄金頭さんの作品と語り口の魅力と、それらに親しむ喜びについて、今日は3点だけ、そっと触れたいと思います。

ひとつは、彼は、(おそらく、ほぼ間違いなく、物語作家としては殊に)受け身の資質です。

3年ほど前、阪神競馬場と、御茶の水で、彼と会って話したことがあります。そのときに僕は(どうしても知りたいと思って)、

「わいせつ」シリーズは、どうやって生まれた、着想したのですか。

と、尋ねました。ここで尋ねなくては、専属文芸評論家を自称する名折れというものです。

彼は(図書館で借りた詩集か哲学書を競馬新聞に包んで小脇に挟み)、

ああいうのは、きっかけがいるんです。何もないと、ちょっと書けないでしょう。

そう、少し照れたように答えてくれました。僕は「ははーん(この人は本物だ)」と確信(を新たに)しました。何もないとちょっと書けないというのは、何かがあれば書けるということです。最新作の「わいせつえんとつの町」にも、その彼の特徴、持ち味がよく出ていると思いませんか。オリジナルを、あっさり、抜き去ってしまう。

黄金頭さんはおそらくご自身をステイヤー寄り、マイラーよりは長い距離を得意とするタイプと思っていらっしゃると思います。しかしそのステイヤーが、ひとたび鞭をひとつしならせると、するするしゅーっと、静かに、まだ3ハロンどころか4ハロンもあるのに。僕が、黄金頭さんマルゼンスキー説を唱える所以です。

あるいは、こういってもいい。仮に、「えんとつ」のリファレンス先、原作が「メジャー」だとして(僕はそんなことつゆほども思いませんけれど)、黄金頭さんは、決まって、それに対するカウンター、引っ掛かりとして、自身の作品を着想し、縦横に、自家薬篭中のものとする。してしまう。しかも、抜き去った馬のことをいささかも傷つけない。抜かれたほうは、「切った風」が何だったのか、気づく暇がない。

戯作者には、少し遠く山東京伝、近くには井上ひさし、山藤章ニといったお名前が浮かびます。マッド・アマノや、ナンシー関でもいい。彼らの作品には、批判という名の、若干の攻撃性が伴ってしまう。もちろん否定的に見ているのではありません。最高にすばらしい。

それに対し黄金頭さんは、まるで、他者を攻撃するリスクがいささかでも生じるくらいなら、物語中で静かに息をひそめて、鶴を折り続けることを身上としているみたいだ。

そのような類型にぴたっとはまる先行者は、近現代の作家にあっては、ちょっと見当たらない。極めて例外的なタイプといっていいのではないでしょうか。

 

さて、ふたつめは、彼の作品は、二面性があるということです。ポリフォニーであり、そのポリフォニックな特質を、身辺雑記と、物語とで、ここ数年で十分に発揮できる土壌が、彼の中で整いつつある。

「出し入れ」と、僕は個人的に呼んでいますが、北別府のコントロールのように、ことばの出し入れというのは、これは実に隠微に、テクニックを要し、書き手にとっては生涯その息遣いにまつわるテーマといっていいものです。

これは多くの書き手が明治の原文一致(の不首尾)以来、頭を悩ませてきたところです。たとえば、丸谷才一などはわりと近しく思い浮かぶでしょう。

その丸谷を例にとると、エッセイでも小説でも、それらの最高峰を取りつまんでみても、あるいは対談でも、やっぱり、定着した、丸谷の声なんですね。

対して黄金頭さんは、エッセイ(はてなブログで日々、私たち読者を楽しませてくれる身辺雑記がその代表例です)と、物語(わいせつシリーズ)とで、声の透明度が、明確に違う。もちろん同じ人格ですから重なるところはある。大きい。けれど、ここでは、差、距離にこそ僕は注目したい。丸谷は成熟し、完成し、他界し、文学史に確固たる名をとどめた戦後の名手です。その意味でも黄金頭さんを比較の遡上に乗せることはフェアではないかもしれない。

しかし、一方でそのことは(ご自身は否定なさるかもしれないけれど)、黄金頭さんの成熟期と完成期と名声は、差を認めた分だけ、まだこれから先にあることを意味する。そう、思いませんか。

 

今回のおしまいに、みっつめです。彼は、意味で語ることをしません。しないというか、しないことを旨とする、あるいは、意味で語ることを苦手とする、ということはこっそり指摘しておきたいと思います。

それは申し訳ないのですがBooks & Appsさんのことです。おそらく、黄金頭さんは、あるテーマを「はい」と渡されて(訂、大まかには、字数だけを渡されていると本稿の公開後に、ご本人から伺いました。それでも趣旨を損ねることはないだろうと思います)、オピニオンを読者に向けることを――いま現在は――あまり得意にしていない(「少数の者たちへの手紙」に似つかわしい、彼らしい繊細な距離感を、いまはまだ、掴みきれていない?)のではないかということです。それが証拠に、これは多くの黄金頭さん愛好家のみなさんには納得していただけると思うのですが、彼のBooks & Appsさん記事公開後に、はてなブログのほうに戻ってきて、そこで「ふうっ」と肩の力を抜いて、裏話、楽屋話をするときの筆致が、<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡(水を得た魚)の姿なのですね。

僕などは、Books & Appsさんの記事が出ると、すぐさま楽屋のほうで待機をします。吉田茂だったか、先の大戦中に、大磯の別邸に、戦時下は禁制だった噺家を忍びで呼んで、艶話(一例として、疝気の虫)を聞くのを好んだという話を何かで読みました。また、これは黒門町だったでしょうか、あの名人と呼ばれた黒門町文楽にして、高座にかけるよりも、おもしろさは楽屋噺が上回ったとか。

黄金頭さんはある意味で、サービス精神が旺盛な方です。プレッシャーになってしまうとよくないので小声で書くにとどめますが、楽屋噺を欠かしたことがない。少し、局面は違いますが、楽屋噺に通じる彼ののびのびとした持ち味は、まるで深夜放送のDJみたいようなものだと感じるときがあります。

ご自身を含めた、少数の者への手紙が届くことを、彼は(その反出生主義的な、ないしは厭世的な哲学に関わらず)受け入れているように、僕には見えます。

 

話が長くなりました。まだほかにも彼のことはたくさん書けることがあります。それらは次回以降に譲るとして、みなさんにお伝えしたいことがある。それは、黄金頭さんをひとりにしてはいけないということです。いけないというか、「世界はひとりではない」と、読者である僕たちわたしたちひとりひとりのことばとして、拙くてもいい、はがきを投函しましょう。彼はそれを「お恵み」と受け取るかと思います(この点については「恵む」「貢ぐ」の対を軸として僕には訴えたいことが両手に余るほどあります)。大丈夫、まだまだ受け取れます。

そうだ、思い出した逸話がある。かつて自分が書いた記事から引かせてください。山際淳司か、常盤新平からの、受け売りです。

俺ははてな界隈の辺境、海辺なのだか崖の縁なのだか、に暮らすある文人のファンだ。彼は滅多にスターを付けないことでも知られる。

テッド・ウィリアムズは―若い頃から気難しがりやで知られていた―引退試合でも普段通りにプレーし、セレモニーも、ファンサービスも行わなかった。ばかりか、ファンの声援に帽子をとって応えることもせず、つまり一切を拒否した、そのように見えた。

「神は返信しない」(“Gods don't answer letters.”)

当時「ザ・ニューヨーカー」の記者を務めていた(作家になる前の)ジョン・アップダイクは、そう記して偉大なる三冠王のことを称えた。

 https://dk4130523.hatenablog.com/entry/2018/02/06/202109

たまに、黄金頭さんは、僕のようなところにも、そっとスターを置いてくれることがあります。神は確かに「やりとりをしない」。だからといって、神をひとりにして、それでよしとするのは、もったいない話です。

 

かつて、夏目漱石柳家小さんと同時代に生きる幸せ(仕合せ)を語った。自分が漱石だとは烏滸がましくて申すつもりは毛頭ございませんが、たとえ漱石でなくても、否、むしろ漱石でない私たちひとりひとりが、その感受性の全体と片言隻語でもって、「推しに萌ゆる」こと。山際淳司なき後、僕は黄金頭さんと出会えたことを、終生の宝と思って(そのように彼にも伝え、何ひとつ御恩を返せずにいることを申し訳なく感じて)います。

 

続きはまた来週にでも。まだあと3点5点、こと黄金頭さんに関して、話すことには事欠きませぬ。主なキーワードだけ挙げておきます。第三の新人田村隆一、意味から響きへ、二次創作と「わいせつ石こうの村」、榎本喜八(!)。

 

2021年2月

船橋海神

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

対訳/前半部 IOC STATEMENT ON GENDER EQUALITY IN THE OLYMPIC MOVEMENT

英日対訳(前半部)を置いておきます。色は訳者が付けました。

www.olympic.org

Inclusion, diversity and gender equality are integral components of the work of the International Olympic Committee (IOC).
包摂、多様性、男女平等は、国際オリンピック委員会IOC)の活動に不可欠な要素です。

Over the past 25 years, the IOC has played an important role in promoting women in and through sport, and it will continue to do so by setting ambitious targets. In the challenging context we live in, now more than ever, diversity is a fundamental value that we need to respect and draw strength from.

The recent comments of Tokyo 2020 President Mori were absolutely inappropriate and in contradiction to the IOC’s commitments and the reforms of its Olympic Agenda 2020. He apologised and later made a number of subsequent comments.

Besides Mr Mori’s apology, the Tokyo 2020 Organising Committee (OCOG) also considers his comment to be inappropriate and has reaffirmed its commitment to gender equality.

As the leader of the Olympic Movement, we are committed to our mission to encourage and support the promotion of women in sport at all levels and in all structures, as stated in the Olympic Charter.

On the one hand, the IOC has a strong record on gender equality (see below), and will continue to build on this. On the other hand, we stand ready to support the OCOG and other organisations in their desired aims within their spheres of responsibility.

過去25年以上にわたり、IOCはスポーツにおける女性の活躍を促進する上で重要な役割を果たしてきました。IOCは今後も野心的な目標を設定することで、これを継続していきます。私たちが生きる厳しい状況の今日(こんにち)、多様性は、これまでにないほどに、私たちが尊重し、力を引き出す必要がある基本的な価値の源泉となっています。

東京2020大会組織委員会の森会長が行った過日の発言は、IOCの掲げるコミットメント(公約)やオリンピック・アジェンダ2020の改革と矛盾しており、絶対的に不適切なものでした。森会長は謝罪し、その後、いくつかのコメントを発表しました。

東京2020大会組織委員会(OCOG)は、森氏の謝罪のほかにも、今回の発言は不適切なものであると考え、男女共同参画への取り組みを改めて確認しています。

オリンピック運動のリーダーとして、私たち(IOCとOCOG)は、オリンピック憲章に記載されているように、あらゆる階層と組織で、スポーツにおける女性(参加や地位向上)の促進を奨励し、支援することを使命としています。

IOC は男女平等に強い実績を持っており(下記参照)、今後もこれに基づいて活動していきます。並行して、私たち(IOC)では、OCOGや他の組織がそれぞれの責任範囲内で望ましい目標を達成する、そのための支援を行う準備が整っています。

The IOC’s decisions, achievements and commitments in this respect include:

  1. With female athlete participation of almost 49 per cent, the Olympic Games Tokyo 2020 will be the first gender-equal Olympic Games.
  2. The IOC is requesting all 206 National Olympic Committees (NOCs) for the first time ever to have at least one female and one male athlete in their respective Olympic teams.
  3. The IOC has for the first time ever allowed and encouraged all 206 NOCs to have their flag carried by one female and one male athlete at the Opening Ceremony.
  4. The Chef de Mission of the IOC Refugee Olympic Team Tokyo 2020 will be Ms Tegla Loroupe, an advocate for peace, the refugee cause, education and women's rights. The first woman from Africa to win the New York marathon, she is also a three-time Olympian and a world record-holder for many years.
  5. The IOC’s First Vice-President at the Olympic Games Tokyo 2020 will be Ms Anita DeFrantz, an African-American bronze medallist at the Olympic Games Montreal 1976, who is a trailblazer for women’s empowerment.

これに関し、IOCがこれまでに行ってきた決定、実績、および公約には、以下が含まれます。

  1. 東京2020大会は女性選手の参加率がほぼ49%となり、初の男女共同参画のオリンピックとなります。
  2. IOCは、206のすべての各国オリンピック委員会(NOC)に対し、史上初めて、それぞれのオリンピックチームに少なくとも1人の女性選手と1人の男性選手が参加するよう要請しています。
  3. IOCは、開会式で女性1名、男性1名の選手が旗を掲げることを初めて認め、また、206のすべてのNOCにこれを奨励しました。
  4. IOC難民オリンピックチーム東京2020大会のシェフ・デ・ミッション(選手団超会議)は、平和、難民問題、教育、女性の権利の擁護者であるテグラ・ロルーペ氏が就任します。ロルーペ氏はアフリカ出身の女性として初めてニューヨークマラソンで優勝し、3度のオリンピック出場経験があり、長年の世界記録保持者でもあります。
  5. 東京2020大会のIOC筆頭副会長には、1976年モントリオール五輪アフリカ系アメリカ人銅メダリストで、女性のエンパワーメントの先駆者であるアニタ・デフランツ氏が就任します。

Powered by DeepL翻訳/DeepL Translate

DeepLの力を借りています。

*

今回、以上です。後半は近日中(訂)に。

個人的に胸が熱いのは、ロルーペさんとデフランツさんです。特にデフランツさんは、1980年幻のモスクワ五輪シングルスカル男子日本代表の津田真男さんとほぼ同い年。

kotobank.jp

山際淳司研究者、1980年幻のモスクワ五輪ウォッチャーの私としては、デフランツさんの足跡を見ると思わず目から水が……

ところで、日本にも、1976年モントリオール五輪クレー射撃で出場した著名な方がいらっしゃいます。森喜朗さんや竹田恆和さんと旧知の間柄と聞いております。スポーツに限定しても、日本の男女同権に関し、今まで、何をやってきたんでしょうか。

なぜいま、この局面、段階で、IOCにこのレベルの確認と指導から受けなくてはならないのでしょうか。

*

2021年2月10日早朝

船橋海神

【追記あり】大会組織委員会の森喜朗会長謝罪表明「東京2020大会と男女共同参画(ジェンダーの平等)について」は日本語版と英語版とで看過できない差があります

公開後の追記(3:00-9:00の間→緑色)

この記事は、「これはなぜかな」「どうしてなのだろう」という素朴な疑問に端を発したものにすぎません。末尾の「付随的な考察(7:00頃追記)」もよろしければ。少しだけ議論の深まりを期待します。

出典

魚拓

今北三行要約

大会組織委員会の森会長謝罪表明(「東京2020大会と男女共同参画ジェンダーの平等)について」)は日本語版と英語版とで看過できない差があることがわかりました。末尾1/3辺りから大づかみにまとめてありますので、お急ぎの方はGO TOそちらで。

段落別対比

1

(組織委原文/日)弊会の先週の森会長の発言はオリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切なものであり、会長自身も発言を撤回し、深くお詫びと反省の意を表明致しました。

(組織委原文/英語)On recent remarks made by President Mori, he commented on Thursday:

(当サイト戻し訳)先般の自身の発言について、森会長は木曜日に次のように述べました。

2

(組織委原文/日)弊会の先週の森会長の発言はオリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切なものであり、会長自身も発言を撤回し、深くお詫びと反省の意を表明致しました

(組織委原文/英語)"My recent remarks at the JOC Council meeting were inappropriate and also contrary to the Olympic and Paralympic spirit. I deeply regret my comments and would like to sincerely apologise to anyone whom I have offended."

(当サイト試再訳)「私が先般のJOC評議会で行った発言は不適切なものであり、また、オリンピック並びにパラリンピックの精神に反するものでした。私は私の発言について深く後悔しています。また、私の発言により気分を害してしまったすべての方に、心よりお詫び申し上げます」

3

(組織委原文/日)「多様性と調和」は東京大会の核となるビジョンの一つです。ジェンダーの平等は東京大会の基本的原則の一つであり、東京大会は、オリンピック大会に48.8%、パラリンピック大会では40.5%の女性アスリートが参加する、最もジェンダーバランスの良い大会となります。

(組織委原文/英語)なし

(当サイト戻し訳)なし

4

(組織委原文/日)私どもは、改めてビジョンを再確認し、引続き、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを尊重し、讃え、受入れる大会を運営します。

(組織委原文/英語)Tokyo 2020 reaffirms our visions, and will continue the Games operations with the aim of improving a society, respecting, celebrating and embracing the variety of individuals and diversity: dimension of diversity includes race, ethnicity, gender, sexual orientation, languages, religious or political beliefs or impairments.

(当サイト戻し訳)2020年の東京大会は、私たちの諸ビジョンを再確認するものです。そして、「社会をよりよいものとし、多様な個人と多様性を尊重し、祝福し、受け入れる」という目標の下に、大会運営を継続してまいります。ここでいう「多様性」には、人種、民族、性別、性的指向、言語、宗教的または政治的な信念、ないし障碍(の有無)が含まれます。

5

(組織委原文/日)ビジョンを追求しながら、多様性の調和、持続可能性、復興に重きを置き、大会後の社会の在り方にもレガシーを残すように取り組んで参ります。

(組織委原文/英語)We pursue our visions putting importance on unity in diversity, sustainability and recovery: we are determined to work continuously in order to leave legacy for our society.

(当サイト戻し訳)組織委員会は、多様性、持続可能性、そして復興の下での団結を重視した諸ビジョンを追求します。それによって、私たちの社会のためにレガシーを残す継続的な活動を行う(固い)決意をしております。

6

(組織委原文/日)引き続き、コロナの感染状況にも注視しつつ、対策に万全を期し、安全安心第一の大会とするべく準備を進めて参ります。

(組織委原文/英語)Our top priority is to ensure safety and to make all the stakeholders feel secured. We stay mindful of the development of the situations surrounding COVID-19 and will work on our preparations to take all possible measures.

(当サイト戻し訳)組織委員会の再優先事項は、安全を確保し、すべてのステークホルダーの皆様に安心していただくことです。COVID-19を取り巻く状況の進展を常に意識し、あらゆる手段を講じて、準備を進めてまいります。

全文一式での対比

タイトルと、上の青字(ICOならびに国際社会向け)部分をつなげると以下のようになります。青を黒に戻し、以下では相互の特徴的な違いを赤で示してみます。

組織委原文/英語を当サイトで日本語に戻し訳したもの

東京2020大会と男女共同参画ジェンダーの平等)について

先般の自身の発言について、森会長は木曜日に次のように述べました。

「私が先般のJOC評議会で行った発言は不適切なものであり、また、オリンピック並びにパラリンピックの精神に反するものでした。私は私の発言について深く後悔しています。また、私の発言により気分を害してしまったすべての方に、心よりお詫び申し上げます」

2020年の東京大会は、私たちの諸ビジョンを再確認するものです。そして、「社会をよりよいものとし、多様な個人と多様性を尊重し、祝福し、受け入れる」という目標の下に、大会運営を継続して参ります。ここでいう「多様性」には、人種、民族、性別、性的指向、言語、宗教的または政治的な信念、ないし障碍(の有無)等が含まれます。

組織委員会は、多様性、持続可能性、そして復興の下での団結を重視した諸ビジョンを追求します。それによって、私たちの社会のためにレガシーを残す継続的な活動を行う(固い)決意をしております

組織委員会の再優先事項は、安全を確保し、すべてのステークホルダーの皆様に安心していただくことです。COVID-19を取り巻く状況の進展を常に意識し、あらゆる手段を講じて、準備を進めてまいります。

組織委原文/日本語

これが、組織委の日本語原文(国内向け)だと次のようになっています。

東京2020大会と男女共同参画ジェンダーの平等)について

弊会の先週の森会長の発言はオリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切なものであり、会長自身も発言を撤回し、深くお詫びと反省の意を表明致しました。

「多様性と調和」は東京大会の核となるビジョンの一つです。ジェンダーの平等は東京大会の基本的原則の一つであり、東京大会は、オリンピック大会に48.8%、パラリンピック大会では40.5%の女性アスリートが参加する、最もジェンダーバランスの良い大会となります。

私どもは、改めてビジョンを再確認し、引続き、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを尊重し、讃え、受入れる大会を運営します。ビジョンを追求しながら、多様性の調和、持続可能性、復興に重きを置き、大会後の社会の在り方にもレガシーを残すように取り組んで参ります

引き続き、コロナの感染状況にも注視しつつ、対策に万全を期し、安全安心第一の大会とするべく準備を進めて参ります。

読み取れる差分の要点

  1. 大会組織委としては、森喜朗会長自身のことばで謝罪したことを、国際社会にはアピールしたいが、国内社会には見せたくない
  2. 大会組織委としては、ジェンダーバランスの施策目標値は、国内向けのエビデンスとして示しておきたいが、国際社会には見せなくていいと判断している。
  3. 大会組織委としては、大会レガシーの未来への継承は、国際社会には強い決意で示し、国内社会には控えめに示したい
  4. 大会組織委としては、COVID-19対策等の安全安心は、国際社会にはステークホルダーのためと明言しておきたいが、国内社会には曖昧にしておきたい

差分ではありませんが

  • 果たして、気分を害した/しない(offend)の問題でしょうか
  • 全体に(日本語の特徴といってしまえばそれまでですが)主語が、そして目的語も、国内向けでは曖昧にされています。今回の問題はそれでいいのでしょうか
  • 「レガシーを残す」の目的が慎重にことばを選んだ恰好になっています。レガシーとは。
  • 大会組織委員会さんは、今回の森喜朗会長発言の幕引きを、レガシーとして後世に引き継ぐご意向なのでしょうか

総じて(まとめに代えて)

大会組織委の英語版を日本語に訳し戻したものが素直です。なぜ、差を作って公開したのか理解に苦しみます。私としては、《大会組織委の英語版を日本語に訳し戻したものジェンダーバランスの施策目標値を加えたもの》が、国内向けとして最も意を尽くす形であると考えます。

付随的な考察(7:00頃追記)

  • (A):森喜朗会長は、発言により、だれかの気分を害してしまったことに問題があると理解し、そのように表明しており、理解が動いていない。不適切の中身やオリンピックの精神に何がどう具体的に反しているかを、自分のことばで伝えていない。
  • (B):大会組織委は、森喜朗会長のその理解を、この間に動かしたり、深めたりすることが、十分にはできなかった
  • (C):大会組織委は、これらのこと(A)(B)を公にすることを国内には避けたかった。避けるために、日本語版では載せなかった。一方、(B)は(B)であるとしても、森喜朗会長自身のことばを謝罪として、国際社会には表明しなくてはならない事情(慣行や上位組織との関係など)があった。
  • (D):以上を斟酌した結果として大会組織委が用意した声明文は、英語版と日本語版とで、一見して明らかに全体の分量が違ってしまった。そこで、ジェンダーバランスの施策目標値に言及する部分を日本語版に加えた。
  • (E):上記(C)(D)は弥縫策ながら、逆にいえば、大会組織委の中には、問題の本質を――問題を森喜朗会長とは違った、本来あるべきレベルで――理解している人が存在することを示唆する――忖度でもあり、苦心でもあり、バランス感覚でもあり。

本エントリー作成時のスクリーンショット

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2021年2月8日2:40JPT

船橋海神

わいせつスチームバスの和邇

ぼくの母の父方は、下野足利は蟻野(ありの)庄というところで代々、漢学者と神主をつとめた家系と聞いている。

蟻野荘には渡良瀬という大きな川と立派な橋がある。いまでは、森高千里の歌で知られているだろう。ぼくたちが子供のころは、いまとはまた違った風情で、毎年8月第1週の土曜日の夕方に、南は鎌倉、北は庄内から、裳着と元服を済ませたばかりの女と男が「いざ足利」と地うねりのような声をあわせて集い、踊り、勤しむ。

祖父の家は川筋の渡し場に船宿をもっていた。学問だけで食べていくことは難しい。屋号は「船宿わたり」といった。「お食事と宿わたり」ともいって、昭和の時代には電話帳にも載っていた。たまたま屋号が同じというのでサングラスをかけた軍団が日産のスカイラインとスズキのカタナでやってきて、会食を楽しんでいたこともある。その宿の2階は、花火を見る格好のポイントになっていた。

橋はふたつあって、そのうちの田中橋のたもと、西側に「スチームバスセンター」がえんとつを空に向かって立てている。そのえんとつからもくもくとけむりが立ち上るのを見るのが、ぼくは好きだった。西の日に輝くけむりには、子ども心にも、何かたまらない詐欺的な魅惑があった。

夏場には蒸気に揺られて、星が落ちてきそうだった。

スチームバスセンターが何であるかは、子供にはわからない。耳ざとい兄方や姉方が何やら耳打ちしてくれたこともある。ぼくにはわからなかった。

ただひとつ、子供心に恐れたいい伝えがある。

成人するまでに15回――7足す5足す3に由来するらしいと後に椿井正隆の書で知った――そのえんとつを見ると、以後は何を読んでも、また書いても「不遍々々(ふへふへ)」あるいは「非縁(ぴえん)」としか読めない字姿になってしまう。

ぼくのところのような、書を守り、縁(えにし)によって遍く天地(あめつち)の下にあることを最善とする家には致命的である。「坊っちゃん、見てはいけませんよ」と、ふだんは優しい大人たちも、このことだけはぼくに厳しかった。ぼくもまた、この教えだけは厳しく守ろうとした。

それでもどうしてもがまんができないときには、父親の釣り竿をこっそり部屋からもってきて、それをえんとつに見立て、ぐっと握りしめて、ときには畳の部屋をぐるぐると歩き回って、がまんする。けれどどうしても見たくて、14歳のぼくに残りの回数は3回か4回しかなかった。

蟻野(ありの)戸を渡す守り人下つ草もゆる火の枝の絶ゆることなし

がまんにがまんを重ねて、竿を強く握り折ってしまったこともある。

父親があまりに激しく怒るので、ぼくは泣いた。そのときに祖父が書付に筆を走らせ、渡してくれた歌だった(ちなみにそんなとき、祖父は入婿の父親の顔をきつく見つめ、「奢ることなかれ」と印を結んでいた)。歌は、沢田源内という儒者が17世紀後半に、いまでいう滋賀県おごと温泉のあたりからわざわざ訪ねて、ぼくたちの先祖に残してくれたものという。本当のところは、もちろんぼくにはわからない。

「大丈夫。アリゲーターを見にいこう」

そのころ、足利ワニ園というのがバスの終着駅にあって、夏場、移動遊園地のようにどこからともやって来て、100日限りの営業を終えると、またどこかへと去ってしまう。山ひとつ越えた先にグンマーというおそろしい場所があり、そのサファリワールドで人気のなくなった動物たちが、運命を受け入れてサーカスよろしく旅を重ねるのだと聞いた。

祖父は、ぼくにつらいことがあると、ひとつ前のバス停で降り、ワニ園に続く湿原までの小径をよく手を引いて連れていってくれた。

「森にいるワニやサメとしつげんは、昔から相性がいい。サメのことを昔は和邇と呼んだものさ。大丈夫。いまに、きっとわかってくれる人と出会える。奢ること、なかれよ」

ぼくは「はい」とも「うん」ともつかない返事をした。祖父は、ぼくの涙を拭うと、スチームバスのえんとつとはちょうど反対方向、渡良瀬にかかる、8月の眩しい空と雲を見遣った。笑った横顔が、詩人の田村隆一にとてもよく似ている。そのことは、祖父が亡くなったずいぶん後になって、気づいた。

遠く背後、繁殖期をまちがえたらしいアオサギの鳴く声が、ぼくたちを襲った。

https://twitter.com/goldhead/status/1357918421325778945

わいせつ石こうの村(黄金頭) - カクヨム

おれのくーちゃん

ロフトで寝ている。冬、春、晩秋は。夏は無理でござる。しかし夏以外にロフトで寝ないのは惜しい。それくらいには快適な空間を作った。ベッド、Y字の衣服の吊るし、ねこさまのダンボールx2、お手洗い用の砂場x1。

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そこに、概ね毎晩、3:39頃にくーちゃんがお出ましになり、「ふにゃーん🐾💗」と鳴く。正確には、まず下で鳴いて、おれが身を起こし、くーちゃんが梯子を上る音を待つ。おれは「おれのくーちゃんだ😺💗」と確信し、くーちゃん様を待ち受ける。

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下には、はなちゃんとみーちゃんがいる。上にはおれとおれのくーちゃんがいる(しかいない)。くーちゃんはここぞと甘えてくれる。下ではくーちゃんはお姉さん的に振る舞う。あまり身を動かさないし、おもちゃには反応するが、過度に何かを示すことはない。

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それが上(ロフト)では全身で甘え(てくれ)る。そのことに最近ようやく気づいた。(砂遊びのポーズ。伸び。円を描く歩み)x3。なでるのが間に合わない。くーちゃんはわかっているのだ。これはたまたま下で撮った写真だが、たとえば、こんなふうに。

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おれはくーちゃんのうしろ頭をなでなでして、「くーちゃん、下でごはん食べよう」と声をかける。ふたりで先を争って梯子を下り、おれはくーちゃんのお世話をする。

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よくウェブでは、ねこの感情表現についてだとか、「ねこには表情筋がない」だとかの、安い単価のライターとやらが書いて垂れ流した記事を見かける。ほぼ、まったくの嘘、嘘というのに差し障りがあるなら、作りごと、押されて、流されて書いた何か、といっていい。ねこさまと和解した下僕なら、全員がそのことを知っているのでは。

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全身で、耳の先から尾の先まで、とても繊細な表現で彼ら彼女たちは「何か」を伝えてくれている。それを見逃してしまうのは、惜しい。

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まあ、櫻井工務店は野暮を重々承知の上で。

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Mr.Children 「Sign」 MUSIC VIDEO

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おれのくーちゃん。

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